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2012年8月28日 (火)

『文部省(文部科学省)教育のプロトタイプ犠牲者としての現大阪市長=橋下徹』2

(前項よりつづく)
いわゆる西洋教育におけるリベラルアーツの発祥は、古代ギリシャにまでさかのぼることができ、文字通りリベラルなアーツすなわち「(それを修得した者が)自由たるべき学芸」としてプラトンが提唱したもののようです。
この場合の「自由」とは何かということですが、それは「非=奴隷」ということであって、古代ギリシャ世界のような極端な二極社会にあっては、「非=奴隷」たる者が「自由人」として、いわば今日でいう“人権”を有していたのでした。
このような伝統は、ローマ世界にも受け継がれ、ローマ帝国においては「市民」すなわち「ローマ市民」のみが「市民権」つまり“人権”を有していたのでした。
「自由」とはですから「特権性」と不可分の属性であったのですが、それが麗しいものであったこともまた確かなのであって、だからこそ「近代」は、「自由(自由権)」とは一部の特権階級にのみ存するのではなく「万人が自由たる権利を生まれながらにして有している」とみなしたのでした。
ただ、人は生まれながらにして自由たる権利を有していると言ったところで、なんの工夫も努力もなしに自由たり続けることは叶わないでしょう。
そこで、古典古代の人間が自由たるべく学ぶべきものとして設定されたヘレニズムの遺産としての「リベラルアーツ」が近代的に再生/再帰され、「教養科目・一般教養」として「学校制度」に組み込まれてきたのでしょう。
はしょり過ぎと言えばはしょり過ぎなのでしょうが、私がこういう概括で強調したいのは、欧米においては古典古代より連綿と続いてきた「学問」と「教育」の蓄積/遺産を〈万人〉に開放するにあたって、それを試行錯誤しながらも内在的/自己生成的/再帰的に処理してきているという点です。(もちろん、“万人”といったところで、フランス人権宣言にしろそれが適用されたのは、当初は「いわゆる白人の、男性」に限定されていたとのことであり、彼らが「市民」とみなす者、「人間」とみなす者の範囲は、今私たちが漠然と思い描くものよりはるかに狭かったのだということにも留意しておくべきだと思いますが)
ひるがえって、我が国が、先行した欧米の近代化に学びながらも、内在的/自己生成的/再帰的な近代化を果たすためのあるべき〈初期設定〉とはどのようなものだったのでしょうか。あるいは、なぜ、我が国においてはそのような近代化がなされなかったのでしょうか。
「和魂洋才」なる漠然としたスローガンはあったとはいえ、当時の指導者らは、自国に膨大に蓄積されながら特権階級や一部の専門家や技能者のものとしてとどまっていた世界に冠たる水準にあった国内の諸文化には手を付けられないまま、インポートモダン、インスタントモダンでお茶を濁してしまったというのが実態でしょう。
つまり、前回も指摘しました通り「欧化」というフィルターを通して「近代」をまとう/装う(=洋装する)ということを習い性としてしまったのです。
(この、「洋装」ということですが、単なる比喩なのでも冗談なのでもなく、現在、皇族は、特別な儀式の時以外は「洋装」なのですが、そういうことに私たちは多少の疑問符を抱くような感性を持つべきような気もします)
私たちは、この明治以来の「近代化」のあり方について、どのような捉え返しをすべきなのでしょう。
確かに当時は喫緊の課題として認識されていたであろう「富国強兵」という観点からは、当時の我が国に圧倒的に欠落しているように見えたのは、「工学的/技術的知」であったことは疑いようもなかったのですが、一方で、明治の先人らに望むべきだったのは、たとえ漸次的ではあっても、我が国に蓄積されていた諸文化/学芸の〈万人〉へと開放する再帰的メソッドの開発であったはずなのでした。
今からでも遅くはない、我が国に必要とされているのは〈再帰的近代化〉であることを私たちは認識すべきではないでしょうか。
その〈初期設定〉にあっては、我が国の古来より連綿と培われてきた諸=知的財産の〈一般化・共有化・平準化〉を「学校制度」の中にビルトインしなければなりません。
思えば、我が国古来よりの諸=知的財産は、「学校」以外の場所で、上流またちょっと気のきいた中流以上の家庭では確実に受け継がれて来たのでした。
「お茶を習いに、お花を習いに、お能の鑑賞に、書をたしなんで、最近は陶芸に、盆栽に、ちょっと人形浄瑠璃を観に…………」
太宰治は『斜陽』において、国民が全て平民と化するべきいわゆる当時の中・上流家庭の覚悟と諦観を描きましたが、それでも、今日私たちが「和風」と呼びならわすことの多い、中世以降は貴族のもののみではなくなり“一般化”してきた日本文化のメインストリームに、下流/下層の庶民が親しく接することなどありえず仕舞いだったのであり、それは明治大正昭和どころか今日においてもそうです。(というより実態は悪化する一方でしょう)
欧州において、リベラルアーツが「自由七科」として定義されたのは、ローマ時代末期、5世紀末から6世紀ごろとされているようですが、日本においても古代律令制の時代にあって、「大学寮」において、「明経道・算道・音道・書道・紀伝道・明法道」が、「陰陽寮」において「陰陽道・暦道・天文道」が、「典薬寮」においては「医道」がいわば学科として存在し教授されていたとのことです。
それが当時の中国の影響下のものであれ、また明らかに「近代化」にそぐわないものも含まれているとしても、見事に合理的な教育が行われていたことがうかがい知れます。
これらの「道」に加えて、中世以降、日本にはより日本的な(=和風)の「道」が主として武芸の世界に生じており、「武道」としての「剣道・柔道・弓道」など、「芸道」としての「茶道・華道・書道・舞踊」などが生じています。
もし、私たちが「再帰的近代化」を図るのなら、これら「道」全てを現代的視点から検討し直し、「一般化・共有化・平準化」の観点から、「学校教育」に取り込むべきです。
また、当然のことながら、日本人は、イタリア人がオペラを比較的身近なものとして鑑賞するように(つまり、鑑賞の勘所を知っているように)、能・狂言・歌舞伎・浄瑠璃(文楽)等について(普通に学校生活を送っていれば)鑑賞できるようになるだけの素養を身につけさせるべきです。
また、「書道(習字)」の分野である程度成果が上がっているように、「学校教育」の中で「和歌・俳諧」の実作や、「連歌・連句の会」なども催すべきです。
さらに言えば、私は、中学生のころ文学や音楽に目覚め、その延長線上で「哲学」や「宗教」についても学びたいと思っていたのに、大学では哲学や宗教学があるにもかかわらず、少なくとも高校生になってなお、「倫理社会」などというとぼけた科目しかないことに強い不信感を抱き続けていました。(しかも、それは文系でも必修ではなく、ご存知のとおり地理だの日本史だの世界史も、とりあえず丸暗記すればそれで大学入試程度何とかなるような代物でした)
今のカリキュラムがどうなっているかは知りませんが、ろくでもないことしか行われていないだろうことは、日本社会の惨状を見れば分かります。
さて、これらを実行するには、大規模な「教育者」の育成を図らなければなりませんし、仮に実行に移せても、生徒には「退屈だ」として不評をかこつことになるかも知れません。
けれども、これまで「学校教育」が退屈でなかったことなどあったでしょうか。
「けっ、退屈だ」などと思いながらも、しかしやがて人間その人に相応しい様々な分野に目覚めて、後になってから基礎教育の有り難さに感謝したりするものでしょう。
(この項、つづく)

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