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2012年10月14日 (日)

私たちは、政治をバカにし過ぎてきたツケを、ここにきて一気に支払うことになるのか、否か。5

正直、このような長文批判になるとは思わずに手をつけてしまって自分で自分に困惑しているのだが、堺屋太一なる人物については「ウワサ村/報道マフィア」界の大御所であるからか、あまりにも“政治的に”偏向し「事実」を検証することだけはひたすら避け続ける妙ちきりんな小沢批判で世間に顔向けが出来なくなり、今や“知の虚人”という死後の評価を自らの手で確立してしまった、あの立花隆同様、マスメディア上ではほとんど批判らしい批判/批評らしい批評が出て来ない。
こういう言論地図的な状況というものは、諸外国の見るべき者(そういう任務を負っている者)は見ているはずであり、当然、米国や中国を始めとして日本の動向に関心のある諸外国の政府部門(調査部門)にもそれなりの報告が入っているのだろう。
日本のマスメディアにおける言論地図など(統制が行き届き過ぎているがゆえに)単純なものだろうから、政治的にみれば、誰がどう動いているのか程度の報告書など毎週A4用紙1枚もあれば十分なのではなかろうか。
たかだか金融街1%新聞に過ぎなかろうに、なぜか米国のオピニオンをリードする地位を占めるにいたっているらしい「ウォール街ジャーナル(WSJ)」なる新聞は、「日本の右傾化が進行している」旨の記事をこのタイミングでことさらに掲載したようだ。どうせ、「WSJ」在籍の日本人買弁記者が“受け”を狙って送信したものだろうが、もっともらしいことを書くなら書くで、それこそ大向こうを唸らすような正確を期した記事を送信すべきではないか。
例えばこんなふうに。
「我が国(米国)のジャパンハンドラーズと呼ばれる米政府の統制下から外れがちな超党派勢力が、日本の一部極右カルト政治家を唆して、日本政府及び日本人の国際的評価を貶めるべく策謀を展開している姿が目に余る。」
つまり、“日本の右傾化”も何も、“属領の動向”は〈米国の国内問題〉に他ならないのであり、本来は米国内において属領の管理をどうするか、よりきちんと整えておくべき問題なのだ。
にも関わらず、鳩山・小沢排除に一役も二役も買った藤崎とかいういかにも無能そうな“駐米大使”がWSJの記事を受けて「日本は決して右傾化しているわけではない」とか何とか反論したというのだから目もあてられない。いかに宗主国と属領の連絡役を務めるだけの無能な橋渡しに過ぎないとしても、仮にも真っ当な日本人の意を体現した発言をしたいという意欲が少しでもあるのなら、「現代のきちんとした宗主国は、たとえ属領に対してであっても、政府内における十分な熟議を経た上で、常に民主主義の原則に照らした対応を取るべきだ」ぐらいのことは言ってやるべきなのだ。
そういう意味においても、いかにも特定の役割を(自律的にか他律的にか知らないが)担うことに満足しているらしい無能の臭いがプンプン漂ってくる「大阪十大名物」の人にして「維新の会」特別最高顧問の人たる堺屋なるピンボケは、次のように強調してみせる。
『大事なのは「仕組みを変えられるかどうか」ということです。国の統治の仕組みが変われば、その場にふさわしい人材が現れます。しかし、仕組み自体が変わらなければ、どんな人材が現れても社会は良くならないのです。』
言っていることはもっともらしいが、では「大阪十大名物」を作り上げると、大阪の“仕組み”が変わるとでも言いたいのか。こういう整合性なき理念と政策を平気で併記してくるようなピンボケを前にして、お前、市民/府民/国民を侮辱したくてしたくてたまらないんだろうと言ってあげるのは、むしろ最上の親切心の発露と言うべきだろう。
「大阪十大名物」などという土木偏重打ち上げ花火に対して、目先鼻先の利権など意に介しないまともな行政官が仮にいるとするなら、そのような人物は批判的な見解を持つのが普通だと思うのだが、「維新の会」の執行部や議員団と、府や市の行政職の幹部らとの関係はどうなっているのか、軋轢はあるのかないのか、肝心な点はさっぱり見えて来ない。
せっかく国会も(どういうわけか、いやに物分かり良く)協力して新しい地方分権促進の法律が出来たというのに、肝心の「大阪都構想」の進捗状況はまったく見えて来ないまま、市長/党首によるいかにも大向こう受けを狙った強権的なコストカットだの国政への思い付きめいた右顧左眄型発言だのが伝わって来るのみである。
それとも、肝心な情報というのは、やはり我が国の悪質な報道買弁マフィアらが、決して全国的話題にならぬよう、ずる賢くもきめ細かくシャットアウトしているのだろうか。
それならそれで、党首本人がやったのでは要らぬ対立も生じるだろう全面的なマスメディア批判を、メディア界に顔のきく特別最高顧問こそが大々的に展開して然るべき局面なのではないのだろうか。だが、そんな殊勝な様子など微塵も見られないのはどうしたことか。
そういう肝心なことにはまともに関与しないでおいて、国の行政組織を『真の政治主導』によってイギリス型の行政府に変えるなどというそれ自体はもっともらしいことを週刊誌上で繰り広げたところで、そんなことは小沢も何百年も前から主張していることであって、なぜ、小沢を支援せずに「維新の会」でなければならなかったのか、なぜ小沢を飛び越えて「維新の会」としての国政進出なのか、政治的闘争の歴史性を無視しているとしか思えない関節外しのようなあざといやり方ではないか。つまり、悪しき意味での“政治的動き”がそこにはあるだけとしか解釈できないのである。
(この項続く)

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