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2012年11月18日 (日)

「正視に耐えぬ現実」、あるいは「小沢排除」の帰結として瞬く間に広がった社会的荒涼に関する点描。3

(興が乗ったので、読み返しもせずにエントリーしてしまいますが、ご容赦のほどを…)

さて、そもそも経営能力の欠片もない者たちが、不当にデカい図体をした法人の経営などしているから、こういうことになるのだろう。
ほかでもない、日本の新聞・テレビ屋企業のことだ。
今朝(11/18)、近所のコンビニに出掛けたところ、いわゆる中央紙から地方紙にいたるまで、新聞の一面をデカデカ飾っていたのは、「維新・太陽の合併」とかいう記事だった。
恥知らずもここまで来れば、目のやり場がないとでもいうしかなく、日本には、こんなものを大真面目な顔をして読んでいる人間がどれほどいるのかと、やはり、考え込まざるを得ない。
どこの大本営から指示が出ているのか出ていないのか知らないが、こんな泡沫政党の合併話が政治的に重大なニュースであるはずがない。
一方の老人は、シナだの三国人だのと、レイシズム丸出しの発言を隠そうともしない人権意識に著しく欠ける国際的な視点からみればカルト扱いの人物であるし、一方の若輩者は、自分の人権を守るためなら、ツイッターとやらに「○○を抹殺しに行かなければならない」などと、2chあたりで私たち無名の一般人がつぶやこうものなら即逮捕されるようなことでも興奮のあまりか記してしまうような人物である。
世に、選挙となれば泡沫候補扱い確実の“有名人”がいらっしゃるが、例えばドクター中松と比較しても社会的実績が皆無に等しく、口を開けば放言、暴言の類い、そうでなければ失言や前言撤回者しか出来ないような者たちが、泡沫候補扱いされない理由は、合理的に見てほとんどないと言わなければならないだろう。
にも関わらず、各紙が競うように一面に、泡沫政党の合併話を持ってきて悦に入っているような状況は、そこに何か合理的ではない、つまり不合理にして非合理な何らかの力が作用しているからだろうと“推認”するのが合理的な判断ということになる。
こういうことは、談合や脱税疑惑に彩られたブラックな業界で禄をはむ胡散臭いサラリーマンらの判断ではなく、自らの社会人としての常識的な判断力を働かせてみることだろう。
いったい、昨日今日発足したばかりの子供のお絵描きみたいなロゴマークを平気で発表して恥じぬような泡沫政党と、まだ国会議員すら選挙を通じては送り込んだこともない若輩政党とがくっつこうが離れようがどうでも良いのであって、普通は相手にする場面でも状況でもないはずだ。
自動車を初めて大量生産ラインに乗せたフォードのように、あるいはラジカセをストリートに飛び出させたソニーのように、あるいはコンピューターをいきなりパーソナル仕様にしてみせたアップルのように、扱う商品が、人々のライフスタイルを一変させるほどの画期性を帯びているのが明らかなような政策を携えて打って出たというのなら、一見泡沫に見えようと着目するのも分かる。
しかし、政策を見れば他党とさして変わらぬ平凡なもので、それゆえにか放言/暴言/失言と前言撤回で人様の注意を引こうとする駄々っ子のような能力しか見受けられない者たちが、喧嘩をしようがコスプレしようが、どうでも良い話のはずなのである。
事実、『朝日新聞』とやらが記載している『石原慎太郎、橋下徹両氏の合意文章(骨子)』とは次のようなものでしかない。
(以下、引用、()内は、引用者の評言)
『「強くてしたたかな日本をつくる」
1中央集権体制の打破
地方交付税廃止、消費税の地方税化
(なんだ、消費税の地方税化などという実現不能なものを除けば、小沢一郎が主張してきたこととほとんど同じではないか。目新しさもオリジナリティも感じられない)
2道州制実現に向け協議
(小沢は道州制とまでは言っていないかも知れないが、要するに中央集権体制の打破というベクトルは同じで、目新しさもオリジナリティも感じられない)
3中小・零細企業対策中心に経済を活性化
(消費税の地方税化などという煩雑な経理などやっている暇もない零細企業相手にこの政策でどうやって活性化を促すのか。口先だけの甘言ではないか)
4地方交付税の廃止分などで社会保障財源立て直し
(小沢の口真似をしているだけで、小沢のように一般会計/特別会計の一体化に踏み込まずに社会保障財源の立て直し、地方自治の独立性確保などできるはずがないではないか)
5TPP交渉参加。国益に沿わなければ反対
(まるで菅直人みたいなことを言っているだけ。どうせなら、菅直人も呼び寄せて維新トロイカ体制でも組んだらどうなのか菅直人が連れてくる自称“市民”の票も期待できますよ?)
6新エネルギー需給体制 原発安全基準などルール構築、電力市場自由化
(何も言っていないに等しい、誰にでも言える橋下が大嫌いな学者以下の机上の空論でしかない。現場も実務も知らないからこんなことしか言えないのであり、民間なら首だろう。やめた方がいいのではないか)
7尖閣は中国に国際司法裁判所への提訴を促す
(促した程度で聞くような相手か?そもそも、逮捕されとも尖閣に上陸すると豪語していた人はどこに行ってしまったのだろうか?民間なら首か、詐欺師として告訴されるレベルだろう。早く辞めるべきだろう)
8企業・団体献金禁止。経過措置で上限設定
(口先だけは、放言、暴言のオンパレードで、文書にはきれいごとを書くのか。経過措置など民間なら通用しない発想に過ぎない。この手のタイプは民間なら首だろう。相手にしてくれるのは、経営能力がないゆえに談合と国政におんぶと抱っこの似非民間業界たる新聞テレビ業界ぐらいのものだろう。使い物にならないのだから、もう辞めたらどうなのか)

どうも、この老人と若造のコンビは、政治分野よりも漫才分野において圧倒的可能性を秘めているのではなかろうか。
東のボケ老人と西の突っ込み若造による異色の喧嘩漫才コンビが誕生すれば、確かに日本の漫才史に残るコンビになる可能性がある。
吉本興行や太田プロは、既に手ぐすね引いている状態かも知れないが、政治分野で赤恥をかいて、鳩山や野田のようにせっかくのお笑いの才能を殺してしまわない内に、引き抜いた方が良くはないだろうか。
この者たちが、国政の世界に深入りすることで生じるマイナスの経済効果と比較するなら、漫才の世界に入ってもらえば確実にプラスの経済効果は見込めるのだから、この者たちをお笑いの世界に引き抜くことは、政治的にも経済的にも国民全般に“善”をなすことにつながる。
最近、小粒の新人しか見当たらないお笑い界にとっては待望の大型新人になるはずであり、テレビ局だって、妙なリスクをおかしてこんな奴らを政治的に裏支援するよりも、遥かに堂々てしていられるだろうし、何よりも儲けがちがってくるだろう。
いったい、お笑いプロダクションやテレビ屋は何を手をこまねいているのか?
政治的に旬なのは今だけなのに。
新聞テレビ屋の政治局に巣食っているような才能も知恵もない穀潰し連中は、もういい加減、メディア的には乾し上げていいころなんじゃないの?
『朝日新聞』の二面(政治面)を読んでいたらとんでもないことが書いてあるぞ。
『石原氏は満80歳。一橋大学在学中に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞して作家としての頂点を極めた』だって。
芥川賞ってのは、新人賞の一種であって、芥川賞を取っただけで『作家として頂点を極めた』って、これ、明らかに褒めたつもりの侮辱表現になっているじゃないか。
だから、バカにものを書かすなって言うんだよ。
『国政進出後、竹下内閣で運輸省を歴任したものの、「数は力」と権勢を誇った田中派の前に少数派の悲哀を味わい続けた』だって。
これが、あの『朝日』の書く記事だってんだから、墜ちたものだわな。
そもそも竹下派は田中にいわば反旗を翻して成立した派閥であり、田中派から派生したものではあっても、『田中派の前に』などと記載するのは明らかな誤りだ。
また、竹下にわざわざ大臣にしてもらっても、大臣としてこれといった業績も上げられず政治的力量も見せられなかった者に、「少数派の悲哀を味わい続けた」というのもほとんど誤りに近い記述だろう。
自民党最右翼を気取るばかりで、人の心に訴え糾合する力もないがゆえに総裁選で惨敗し、ポピュリズムに訴える形で議員辞職パフォーマンスなどをしてみせたのが、ポピュリズムの政治の時代にマッチし、都知事に転じることが可能になったまでだろう。
この手のそれこそポピュリズム的なご都合主義の記述は、既に『朝日新聞』のお家芸だろう。
むしろ、いわゆるネトウヨと呼ばれている人たちの方が、石原の動きについて厳しい目を持っているのは、なんともはや、石原が大嫌いらしいポピュリズムを煽っているのは大新聞テレビメディアであり、そのポピュリズムに乗っかりながらポピュリズムを批判する石原という、もうどうしようもないぐちゃぐちゃな情勢が日本に生まれていることを端的に示している。

この愚劣にして卑俗な新聞は、社会面にいたっては、『維新が降ってきた』なる大見出しを掲げた。
あと、1ヶ月程度しかない選挙期間中に、やった47人の候補を発表しただけなのに。
異常な押し出しである。

これが、『ハシシタ、奴の本性』なる記事を出した「朝日新聞出版」の親会社たる『朝日新聞』の本音であり本性なのだ。
候補者のプロフィールまで宣伝してあげて、まだ、告示以前の期間とはいえ、特定の政党のみをこれだけ取り上げてみせるやり方は、ほとんど選挙違反と呼んでも良い代物だろう。
異様にして異常である。

こういう紙面作り自体が、「社会問題」相当の新聞社を、このままの形でのさばらせておいて良いものなのだろうか。

私は、まだ、このような愚劣な大メディアにだまされずに、常識と平常心を保つ日本人が一定層存在することを信じていたい。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

今日のエントリーも気分の晴れる鋭い切り口で、朝からの晴天のような気分になれました。 とくに以下の部分、引用します。

>いったい、昨日今日発足したばかりの子供のお絵描きみたいなロゴマークを平気で発表して恥じぬような泡沫政党と、まだ国会議員すら選挙を通じては送り込んだこともない若輩政党とがくっつこうが離れようがどうでも良いのであって、普通は相手にする場面でも状況でもないはずだ。<

>どうも、この老人と若造のコンビは、政治分野よりも漫才分野において圧倒的可能性を秘めているのではなかろうか。<

暴走(=妄想)する高齢者とそれをを労わる(?)ツイート大好き市長だと、放送禁止用語満載の漫才になりそうだなあと、可笑しくなります。河村市長もコバカにされながら、まだすり寄っていきたいようで、民間の再就職の厳しさに鑑みると、政界は職場の変更が随分とラクそうにも見えます。
ところで,少し遡って読んでみましたが,質量ともにすごい読書家ですね。

投稿: 穣 | 2012年11月18日 (日) 22時58分

『 B刊セイゴオ「ひび」二〇一二年十一月十八日(日)
ぼくの生き方U。新しい仕事は唐突に始め、店仕舞いは果敢に打ち切る。国家は勝手につくる。行く先がどこであれ、本が好きな連中と遊べる社会をつくっていく。』松岡正剛は,豪徳寺に6万冊の“本家(ほんや)”さんをつくってるみたいですね。
私の友人,主婦専業で子育て中だった時「あら,とくにS新聞は,ダメよ。だってスーパーのチラシが入らないんですもの。」最近「ネット・スーパーがあるから,もう新聞はいらないのよ。」
私の友人,キャリアウーマンで子育て中だった時「新聞は3カ月契約すると洗剤をくれるのよ。」最近「泥んこ汚れもなくなったので,もう新聞はいらないのよ。」
私の弟,独身だった時「新聞も,どうせウソを書くなら,もっと面白く書きやがれ。」最近「防犯上もよろしくないので,新聞は止めたよ。」
私と17年をともにした,三毛と茶とらの2人,「いろいろ試した結果,清潔第一のトイレ用には新聞紙がいちばんにゃん。」1紙では足りず10年ちかく3紙も宅配契約していたのですが,A新聞は朝から不愉快になることこの上なく,ほとんど読まずに速攻トイレ用。彼女たちが亡くなった時から,新聞はいらなくなりました。
高橋健太郎『ポップ・ミュージックのゆくえ』p.207あたりから,ハウス・ミュージックのイメージがかなり明確に分かり始めてきました。なるほど,このブログの構想力は,ハンパない!と言いつつ,我ながら,レヴェル低~い感想で申し訳ございません。

投稿: 植杉レイナ | 2012年11月19日 (月) 11時04分

穣さま、コメントありがとうございます。

あの二人は、漫才コンビなら絶対受けますね。
多分、お笑いプロダクションの重役連中に聞けば、太鼓判をおすのではないでしょうかね。
政治コンビとしては、残念ながら使い物にならないレベルでしょう。政策担当者様(=官僚様)がいなくては政策が作れない奴らが官僚制打破など笑っちゃうてなもんです。
もちろん、政治家は、法案の一語一句まで全てを起草する必要はないでしょう。しかし、小沢レベルの綜合的構想力がなければ、国政においても民主党の二番煎じで、瞬く間に官僚に牛耳られてしまうことは必定でしょうね。

ところで、私なんて全然読書家ではありませんよ(笑)
若いころは、名著と呼ばれているものは一通りそれなりに読みましたけれども。
今じゃ、全然。
時間もお金も体力もありません(泣)

投稿: にいのり | 2012年11月19日 (月) 21時12分

植杉さま、コメントありがとうございます。

自分の文章を読み直してみましたら、いくら書きなぐりといえども、誤字脱字、へんな日本語のオンパレードで自己嫌悪に陥りました(笑)
にしても、コンビニで新聞という新聞の一面が、「維新太陽の合併」記事で埋め尽くされていたのには怒り心頭に発し、速攻でエントリーしてしまいました。

松岡正剛さん、頑張ってほしいですね。
ハウスミュージックは、まさに音楽の編集工学ですね。
日本の歌=和歌は、「枕詞」「歌枕」「本歌取り」を初めとして、まさにハウスミュージック的方法論にみちみちていると思います。

私の場合、思弁的構想力は、殆んどありませんで(笑)、実作者の立場から、「ああ、こいつらはこういうことをやりたいんだな」「こっちのこいつらは、こういうことをしたいんだな」という観点から考えていると思います。
もう、実作はしておりませんが、頭の中で、メロディーが鳴ったり、編曲的なアイデアが生まれたりすることはあります。

それはそうと、植杉さんも猫好きだったんですね。
やっぱり、という感じ。

猫の、人間に対する距離の取り方が好きですね。

投稿: にいのり | 2012年11月19日 (月) 21時32分

世界を鳥瞰するセンスって,コンビニの1商品だけでなくラック全体を見渡すセンスなのですね。大げさでなく,そう言いたいとおもいます。
他の記事でも,和歌の方法論にまで着目している,タダモノではなさそ~,っておもっていましたが,なるほど〈作曲家〉でいらしたわけですね。
以下は,吉本の戦後詩にまつわるシュルレアリスムについての考察なのですが,ハウス・ミュージックのイメージに重なるような気がして,引用さし上げます。空振りだったらゴメンナサイ。
大和書房1978年9月刊 吉本隆明 『戦後詩試論』 所収  「修辞的な現在」
《 p.176 10~16行目 》
詩の修辞的な可能性をもっとも極度にまで拡大してみたい欲望がゆきつくとすればどこだろうか。この欲望は修辞的な自然あるいは修辞的な宇宙を獲得しようとする無意識な欲求に根ざしている。言葉が規範のうえにしか成りたたないことがあたえる拘束感は、社会が自然の上に成り立ってことにくらべてはるかに重苦しいものだ。いったん言葉を〈書く〉という体験に深入りしたとき意のままにならなかった記憶は修辞的な生涯を決定する。表現は強いて造りだそうとせず、みつけ出されるまでまつのだというのは修辞的な詭弁で、どうかんがえようと〈書く〉という体験ではじめて言葉は人間にとって自由なものでないことを実感することにかわりはない。
《p.176 17行目~p.177 11行目》 省略
《p.177 11~17行目》
こういう意味で超現実主義の無意識と自動記述とは言語の歴史体験を現存性の深層構造に置き代える非歴史化作用にほかならないといえよう。そしてその限界のところには〈不可能〉を可能なように表現しようとする動機がおかれる。いわば〈不可能をする〉ことによって言語の意味の日常性から脱出したいということである。もちろん〈不可能〉の意味は文法上の意味構成の〈不可能〉からはじまって、観念上の限定〈不可能〉な作用の領域にいたるまでさまざまでありうる。ただ、深層からする言葉の解放と意識の持続であることだけを信じて不定の表出にかけることになる。

投稿: 植杉レイナ | 2012年11月22日 (木) 14時11分

橋下はともかく、石原には尖閣問題で10数億が集まった実績がありますからね。
メディアは自分たちが黙殺してきた「民意」にまだそれだけの厚みがあったことに気付き、無視できなくなっているということでしょう。

なお、シナはChinaであり、蔑称とは言えません。
シナが蔑称であれば、全世界的にChina、Chineseは蔑称であると言わなければならなくなります。
日本人だけがシナ、Chinaと言ってはいけない理由があるとは考えられません。
誰かが嫌がるから言うなとよく言われますが、幼児的理論で言葉狩りをするのは無駄に言語を痩せさせる行為です。

まあ、こういうことを言うとすぐに右翼だのネトウヨだのという、よくわからない呼称で蔑視されるのが日本という国のようですが。

投稿: | 2012年11月23日 (金) 12時16分

植杉さま、コメントありがとうございます。
私の場合、どれもこれも「素人の手習い」「下手の横好き」レベルで、いわゆる「モノにならない/なっていない」という典型ですから(;^_^A
いつもこういう話になると、徒然草の「あれもこれもというのでは、やはりダメだ、一つのことに集中しろ」みたいな内容の段を思い出すのです。
高校生のころ、この爺さんのアドバイスを大真面目に聞いていたらなぁと、泣きたくなりますね。
だからこそ逆に、本物の専門家(職人)だと思えばリスペクトしたくなりますし、逆に中途半端な奴は徹底的にけなしてやりたくなります。
小沢のプロっぷりと、石原だの橋下だのの、まるで自分にマルチな才能でもあるかのように振る舞っているはしたなさ。
あざけり笑いたいですね。
また、思うのは、「ゴッホと無数のゴッホ」のことです。「無数のゴッホ」とは私の勝手な表現ですが。
また、思い出すのが、「あの、イギリスの、弱小レーベルから曲を出していた、あの、大好きなミュージシャンたち、彼は彼女は今頃どんなふうに生きているのだろう」といったことです。
どんな世界でもきっと同じだと思うのです。

投稿: にいのり | 2012年11月23日 (金) 15時36分

匿名さま、ご丁寧なコメントありがとうございます。
さて、あなたのコメント文を私が冷静に読めるのは、やはり、表現の丁寧さ、上品さに負うところが大きいと思うのです。

ブログ本文では、私もあえて挑発的な言葉を採用してしまいますが、このような個人の資格でコメントをいただく方には、極力失礼のないように対応しているつもりです。
つまり、単語及びその意味内容とは、文脈・文体に大きく依存しているのではないでしょうか。

米国で、黒人に対する最高度の差別表現、侮蔑表現とされるニガーという言葉は、語源的にはニグロ(ラテン語で黒いものの意)で、昔は差別的文脈では用いられなかったそうです。
しかし、時代の移り変わりにより、その単語は特定の文脈・文体の中でしか用いられないようになり、したがって、一般的にはどうひっくり返しても、用いるべきではない差別用語として確立してしまったようです。
事実、(それが最善か否かの議論は残るとしても)ニューヨークでは使用禁止用語として法律化さえされているとのことです。

私も、言葉狩りのようなことは大嫌いですが、しかし、石原のような失礼な人間、失礼な言葉遣いしかできない人間は、思想・政治云々以前に、憐れむべき存在としか映りません。
残念ながら、こういう点については議論にならないと思います。

投稿: にいのり | 2012年11月23日 (金) 20時14分

初めまして、今晩は。エントリーとコメント、いろいろ難しい話題も含めて、読ませて頂いています。
匿名氏の「橋下はともかく、石原には尖閣問題で10数億が集まった実績がありますからね。メディアは自分たちが黙殺してきた「民意」にまだそれだけの厚みがあったことに気付き、無視できなくなっているということでしょう。」
ここは、残念ながら、完全な事実誤認です。匿名でわざわざ言ってくるのは、まさか御本人ではないことを祈るしかないですが。
某ジャーナリストからの確かな情報です。「一般人がン千円だ、ン万円だと寄付してあっという間に十億も集まる訳はないんですよ。これ以上は言えませんけれどね。」あとは、想像力を逞しくして下さい。

投稿: SP8 | 2012年11月23日 (金) 23時53分

SP8さま、コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、想像を逞しくしてしまいますが、なぜ様々な問題について追及するメディアがないのか、不思議ですね。
尖閣購入計画をわざわざ米国の財団で発表するなど、胡散臭いことだらけなのに、米国を絡めると突然腰の引ける我が国のマスメディアは、やはり、もう存在価値がないと言って良いのではないでしょうか。

「核シミュレーションすべきだ」「日本は米国のめかけ」など、大胆な発言としてメディアでは騒がれますが、米国の一部勢力のお墨付きを得た上でなら、この程度の発言は大胆でも何でもなく、記事で言えば「飛ばし」「アドバルーン」の類いに過ぎないでしょう。つまり、大胆でも何でもない、意地汚さの漂う発言に過ぎないと思うのです。
一方で、小沢の「第七艦隊だけで良い」という発言は、米国の戦略の急所をつくわけです。
これだけでも、どちらが始末に負えないポピュリストであるかは一目瞭然だと思われますが、
まぁ、石原のような下品な人間については、何の興味もありませんので、彼についてこれ以上云々しようという意欲もわいて来ないのが率直な気持ちです。

投稿: にいのり | 2012年11月24日 (土) 21時28分

鋭い見識のお返事を頂きました。ダメ過ぎるものを無視なさる態度は、むしろ尊敬に値すると考えます。
若者の雇用停止・地方の疲弊→優秀な若者でも失業者となる→憲法破棄を前提(?)の橋下は徴兵制を、石原は核保有を、安倍は国防軍を明言する→軍隊をつくって、国防軍人の大募集=センカクあたりで国境警備する勇壮な国防軍のポスターで若者を徴兵→しかし国防軍の初めての仕事は、原発事故の後処理。フクシマの作業員の絶対数が少ないことは、誰の目からも明らかです。誤解を恐れずに言いますが、いずれ国防軍のいちばんのお仕事は、ろくな給料も将来もなく、原発事故の後処理に駆り出されることしかないのでは。1%のために命を無駄にしたいと言う思考停止状態をつくり上げようと躍起になっている「勢力」を野放しにするだけでなく、毎日のようにニュースで取り上げるマスメディアの責任は重大ですが、サンデー毎日には、唐突な解散は野田の小沢外し戦略と書いていたはずです。たいへん長々となり失礼しました。

投稿: SP8 | 2012年11月25日 (日) 08時29分

SP8さま、ハッとするコメントありがとうございます。
なるほど、おっしゃるとおりなのでしょうね。
私など、まだ棺桶に片足を突っ込んではいないでしょうが、そろそろ自分の入る棺桶の作成に入らなければならないような年代ですから、真剣さが足りないのかも知れません。(子どももおりませんし)

お説を拝見して、「代執行」ですとか「行政代執行」と言われる制度のことを思い出しました。おっしゃっていることを一言で言えば、「人材育成上の行政代執行制度」を成立させようとしているのではないか、という連想です。
伝統的な「徴兵制」のように「徴兵」する側が全責任を負うのではなく、まさに強制代執行のように「お前がそのような境遇に陥るのは、お前がダメな人間だからだ、分かるよな」的な、執行される側に予め罪悪感、劣等意識を植え付け、“自己責任”を負わせる形の「執行制度=新たな徴兵制」。新自由主義金融思想の応用編。
これは、恐ろしいことですね。
このようなアイデアは、おそらく我が国の内部から自発的に出てきたものではないでしょう。
しかし、言いなりになる者がいる限り、そんなことを言ってみても仕方がありませんね。
ダメな者を“話題”にしたくはありませんが、ダメな者を操る邪悪なオペレーター、アドミニストレーターらの思惑を明確にして、人々に知らせていく必要はありますね。
私など、社会的には何の力もない者に過ぎませんが、せめてブログぐらいは、より一層の危機感をもって書き継いで行きたいと思います。
思うに、やはり「人間の安全保障」というセンの概念はキーワードになると考えますが、政治家の側でそのような事を言っている人は見当たりませんね。

投稿: にいのり | 2012年11月25日 (日) 09時34分

余計なお世話と思われるかもしれませんが,読者の方にお知らせもかねて,申し上げます。Daily Cafeteria  2010年4月20日 (火)   『石原慎太郎」のような脆弱な野蛮人がいつまでもデカい面をしているようなら、とても米国とは対等にはなれない。』すでに,ここで,とても冷静な石原分析を書かれていらっしゃいます。
http://m-d797c8f9d5a37500-m.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-d1dd.html
それにしても,たんまり政党交付金をせしめた挙げ句の突然の解散って,たしかに小沢隠しの戦略のひとつでしょうね。日経電子版2012/11/26 0:34によると,『総務省が4月に発表した12年分の政党交付金の配分額は、民主の165億430万円に対し、自民は101億5400万円(以下,省略)』『「国民の生活が第一」(中略)選挙が来年になればもらえるはずだった政党交付金を受け取れないままで選挙を迎えるため、資金繰りが厳しいのは自民党と同じだ。(以下,省略)』
あと,「ゴッホと無数のゴッホ」は,新しい〈課題〉なので,ゆっくり考えてみますね。じぶんで書くのはヘタクソなので,またまた引用文です。
G・バシュラール 掛下栄一郎訳『瞬間と持続』 紀伊国屋書店1978・5・15第10刷 p.126~127 より。
 「したがって詩的瞬間とは、必然的に複合的でなければならぬ。すなわちそれは、ときに感動させ、ときに証明し―――ときに誘惑し、ときに慰め――、またときにそれは不思議なものであり、親しみ深いものである。」

投稿: 植杉レイナ | 2012年11月26日 (月) 11時29分

植杉さま、ご指摘、ありがとうございます。
何と申しますか、本当に私のような者がかっこつけて書き散らしたものを真剣に読んでいただいて、どうしましょう、というのが本音ではあります。
もちろん、ブログの文章は一生懸命書いておりますが、人間としてはちゃらんぽらんの極みですから。
石原とか橋下のことが良く分かるのは同類項ではないかなとも思うのです。
けれども、私としては、彼らのようなタイプの人間を常に反面教師とすべく生きて来たような気がします。
私の言う「ゴッホ」とは、「生前に一枚の絵も売れなかったゴッホ」を指します。
「石原」になってはいけない、「ゴッホ」にならなければいけない。

吉本隆明は、資本主義は、「新しい、まだ埋もれている人を世に出す」という点に関しては優れた一面があるよ、と言っていましたね。
そういう言い方に深く納得しながらも、「沈黙の言語も言語表現の一つだよ」という言い方もしていた吉本の方が、さらに深いかなと。

私は、ポップミュージックも大々好きですが、しかし、今、“ファインアート”としての“現代音楽”に取り組んでいる方は、世界に何人ぐらいいるのだろう、ということもたまに考えます。
いったい、“ファインアートとしての音楽”など必要なのかという視点もあるのでしょうが、
吉本が、『マスイメージ論』から、ほとんどの人が理解できない『ハイイメージ論』に取り組んでいたとき、彼は大きな絶望とも戦っていたんだろうな、とも思うわけです。
本当に難しいところなのですが、石原みたいな人間は、作家としてそういう難しいところからは我先に逃亡しているくせに、なぜか偉そうにしているわけです。
それは、やはり許しがたいことですね。
政治のプロフェッショナルたる小沢が、政治の難しい問題に取り組んで、満身創痍になっているのに、石原みたいな奴が横からしゃしゃり出てきて偉そうにしている。どう考えても許せないことですね。

投稿: にいのり | 2012年11月26日 (月) 20時18分

『自立した者同士の共生への意志の顕れとみなすべきもの』
やっぱ,基本,ロックな記事。ストーン(石)とかブリッジ(橋)なんかとは違うんじゃない(苦笑してネ)。
現代では,文化においてはドラスティクな価値の交流を是としてきたはずですので,政治においてもわたしたちは恐れず,未来を見るべきなのでしょうね。蛇足① John Cage は“The First Meeting of the Satie Society”(2枚組)だけ持ってます。蛇足② 本田成親氏はかつて「旅に出たいので」と,あっさり東大教官を辞めて,ほんとにトヨタ・ハイエース(今は多分プリウス)で日本中を廻り,「ゴッホ」を見つけては仲良くなるという特技(?)がおありで,そのお一人に,今やたいへん有名な画家・渡辺淳さんがいます。蛇足③『ハイ・イメージ論』は,『心的現象論』ほど難解ではありませんが,難しいのになぜかグッとくる,とても好きな本です。

投稿: 植杉レイナ | 2012年11月28日 (水) 00時38分

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