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2012年11月18日 (日)

「正視に耐えぬ現実」、あるいは「小沢排除」の帰結として瞬く間に広がった社会的荒涼に関する点描。3

(興が乗ったので、読み返しもせずにエントリーしてしまいますが、ご容赦のほどを…)

さて、そもそも経営能力の欠片もない者たちが、不当にデカい図体をした法人の経営などしているから、こういうことになるのだろう。
ほかでもない、日本の新聞・テレビ屋企業のことだ。
今朝(11/18)、近所のコンビニに出掛けたところ、いわゆる中央紙から地方紙にいたるまで、新聞の一面をデカデカ飾っていたのは、「維新・太陽の合併」とかいう記事だった。
恥知らずもここまで来れば、目のやり場がないとでもいうしかなく、日本には、こんなものを大真面目な顔をして読んでいる人間がどれほどいるのかと、やはり、考え込まざるを得ない。
どこの大本営から指示が出ているのか出ていないのか知らないが、こんな泡沫政党の合併話が政治的に重大なニュースであるはずがない。
一方の老人は、シナだの三国人だのと、レイシズム丸出しの発言を隠そうともしない人権意識に著しく欠ける国際的な視点からみればカルト扱いの人物であるし、一方の若輩者は、自分の人権を守るためなら、ツイッターとやらに「○○を抹殺しに行かなければならない」などと、2chあたりで私たち無名の一般人がつぶやこうものなら即逮捕されるようなことでも興奮のあまりか記してしまうような人物である。
世に、選挙となれば泡沫候補扱い確実の“有名人”がいらっしゃるが、例えばドクター中松と比較しても社会的実績が皆無に等しく、口を開けば放言、暴言の類い、そうでなければ失言や前言撤回者しか出来ないような者たちが、泡沫候補扱いされない理由は、合理的に見てほとんどないと言わなければならないだろう。
にも関わらず、各紙が競うように一面に、泡沫政党の合併話を持ってきて悦に入っているような状況は、そこに何か合理的ではない、つまり不合理にして非合理な何らかの力が作用しているからだろうと“推認”するのが合理的な判断ということになる。
こういうことは、談合や脱税疑惑に彩られたブラックな業界で禄をはむ胡散臭いサラリーマンらの判断ではなく、自らの社会人としての常識的な判断力を働かせてみることだろう。
いったい、昨日今日発足したばかりの子供のお絵描きみたいなロゴマークを平気で発表して恥じぬような泡沫政党と、まだ国会議員すら選挙を通じては送り込んだこともない若輩政党とがくっつこうが離れようがどうでも良いのであって、普通は相手にする場面でも状況でもないはずだ。
自動車を初めて大量生産ラインに乗せたフォードのように、あるいはラジカセをストリートに飛び出させたソニーのように、あるいはコンピューターをいきなりパーソナル仕様にしてみせたアップルのように、扱う商品が、人々のライフスタイルを一変させるほどの画期性を帯びているのが明らかなような政策を携えて打って出たというのなら、一見泡沫に見えようと着目するのも分かる。
しかし、政策を見れば他党とさして変わらぬ平凡なもので、それゆえにか放言/暴言/失言と前言撤回で人様の注意を引こうとする駄々っ子のような能力しか見受けられない者たちが、喧嘩をしようがコスプレしようが、どうでも良い話のはずなのである。
事実、『朝日新聞』とやらが記載している『石原慎太郎、橋下徹両氏の合意文章(骨子)』とは次のようなものでしかない。
(以下、引用、()内は、引用者の評言)
『「強くてしたたかな日本をつくる」
1中央集権体制の打破
地方交付税廃止、消費税の地方税化
(なんだ、消費税の地方税化などという実現不能なものを除けば、小沢一郎が主張してきたこととほとんど同じではないか。目新しさもオリジナリティも感じられない)
2道州制実現に向け協議
(小沢は道州制とまでは言っていないかも知れないが、要するに中央集権体制の打破というベクトルは同じで、目新しさもオリジナリティも感じられない)
3中小・零細企業対策中心に経済を活性化
(消費税の地方税化などという煩雑な経理などやっている暇もない零細企業相手にこの政策でどうやって活性化を促すのか。口先だけの甘言ではないか)
4地方交付税の廃止分などで社会保障財源立て直し
(小沢の口真似をしているだけで、小沢のように一般会計/特別会計の一体化に踏み込まずに社会保障財源の立て直し、地方自治の独立性確保などできるはずがないではないか)
5TPP交渉参加。国益に沿わなければ反対
(まるで菅直人みたいなことを言っているだけ。どうせなら、菅直人も呼び寄せて維新トロイカ体制でも組んだらどうなのか菅直人が連れてくる自称“市民”の票も期待できますよ?)
6新エネルギー需給体制 原発安全基準などルール構築、電力市場自由化
(何も言っていないに等しい、誰にでも言える橋下が大嫌いな学者以下の机上の空論でしかない。現場も実務も知らないからこんなことしか言えないのであり、民間なら首だろう。やめた方がいいのではないか)
7尖閣は中国に国際司法裁判所への提訴を促す
(促した程度で聞くような相手か?そもそも、逮捕されとも尖閣に上陸すると豪語していた人はどこに行ってしまったのだろうか?民間なら首か、詐欺師として告訴されるレベルだろう。早く辞めるべきだろう)
8企業・団体献金禁止。経過措置で上限設定
(口先だけは、放言、暴言のオンパレードで、文書にはきれいごとを書くのか。経過措置など民間なら通用しない発想に過ぎない。この手のタイプは民間なら首だろう。相手にしてくれるのは、経営能力がないゆえに談合と国政におんぶと抱っこの似非民間業界たる新聞テレビ業界ぐらいのものだろう。使い物にならないのだから、もう辞めたらどうなのか)

どうも、この老人と若造のコンビは、政治分野よりも漫才分野において圧倒的可能性を秘めているのではなかろうか。
東のボケ老人と西の突っ込み若造による異色の喧嘩漫才コンビが誕生すれば、確かに日本の漫才史に残るコンビになる可能性がある。
吉本興行や太田プロは、既に手ぐすね引いている状態かも知れないが、政治分野で赤恥をかいて、鳩山や野田のようにせっかくのお笑いの才能を殺してしまわない内に、引き抜いた方が良くはないだろうか。
この者たちが、国政の世界に深入りすることで生じるマイナスの経済効果と比較するなら、漫才の世界に入ってもらえば確実にプラスの経済効果は見込めるのだから、この者たちをお笑いの世界に引き抜くことは、政治的にも経済的にも国民全般に“善”をなすことにつながる。
最近、小粒の新人しか見当たらないお笑い界にとっては待望の大型新人になるはずであり、テレビ局だって、妙なリスクをおかしてこんな奴らを政治的に裏支援するよりも、遥かに堂々てしていられるだろうし、何よりも儲けがちがってくるだろう。
いったい、お笑いプロダクションやテレビ屋は何を手をこまねいているのか?
政治的に旬なのは今だけなのに。
新聞テレビ屋の政治局に巣食っているような才能も知恵もない穀潰し連中は、もういい加減、メディア的には乾し上げていいころなんじゃないの?
『朝日新聞』の二面(政治面)を読んでいたらとんでもないことが書いてあるぞ。
『石原氏は満80歳。一橋大学在学中に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞して作家としての頂点を極めた』だって。
芥川賞ってのは、新人賞の一種であって、芥川賞を取っただけで『作家として頂点を極めた』って、これ、明らかに褒めたつもりの侮辱表現になっているじゃないか。
だから、バカにものを書かすなって言うんだよ。
『国政進出後、竹下内閣で運輸省を歴任したものの、「数は力」と権勢を誇った田中派の前に少数派の悲哀を味わい続けた』だって。
これが、あの『朝日』の書く記事だってんだから、墜ちたものだわな。
そもそも竹下派は田中にいわば反旗を翻して成立した派閥であり、田中派から派生したものではあっても、『田中派の前に』などと記載するのは明らかな誤りだ。
また、竹下にわざわざ大臣にしてもらっても、大臣としてこれといった業績も上げられず政治的力量も見せられなかった者に、「少数派の悲哀を味わい続けた」というのもほとんど誤りに近い記述だろう。
自民党最右翼を気取るばかりで、人の心に訴え糾合する力もないがゆえに総裁選で惨敗し、ポピュリズムに訴える形で議員辞職パフォーマンスなどをしてみせたのが、ポピュリズムの政治の時代にマッチし、都知事に転じることが可能になったまでだろう。
この手のそれこそポピュリズム的なご都合主義の記述は、既に『朝日新聞』のお家芸だろう。
むしろ、いわゆるネトウヨと呼ばれている人たちの方が、石原の動きについて厳しい目を持っているのは、なんともはや、石原が大嫌いらしいポピュリズムを煽っているのは大新聞テレビメディアであり、そのポピュリズムに乗っかりながらポピュリズムを批判する石原という、もうどうしようもないぐちゃぐちゃな情勢が日本に生まれていることを端的に示している。

この愚劣にして卑俗な新聞は、社会面にいたっては、『維新が降ってきた』なる大見出しを掲げた。
あと、1ヶ月程度しかない選挙期間中に、やった47人の候補を発表しただけなのに。
異常な押し出しである。

これが、『ハシシタ、奴の本性』なる記事を出した「朝日新聞出版」の親会社たる『朝日新聞』の本音であり本性なのだ。
候補者のプロフィールまで宣伝してあげて、まだ、告示以前の期間とはいえ、特定の政党のみをこれだけ取り上げてみせるやり方は、ほとんど選挙違反と呼んでも良い代物だろう。
異様にして異常である。

こういう紙面作り自体が、「社会問題」相当の新聞社を、このままの形でのさばらせておいて良いものなのだろうか。

私は、まだ、このような愚劣な大メディアにだまされずに、常識と平常心を保つ日本人が一定層存在することを信じていたい。

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