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2012年11月27日 (火)

坂本龍一と小沢一郎と日本の未来

坂本龍一と小沢一郎……この両者が同じ一つの旗のもとに合流する。
実に感慨深いものがある。
一昔前なら、こんな組み合わせは考えられもしなかった。
しかし、大いなる危機がこの両者を邂逅させたのであり、あるしゅのハイブリッド体がそこに生成しようとしている。
これは、日本の近年にない画期性を帯びていると言える。
懐古趣味ではない領域における、我が国の同時代的な「文化」と「政治」とが、大いなる危機を前にして、危機の拡大を阻止すべく手を取り合い、人々の意志を集めようとしているのだ。
これこそが、自立した者同士の共生への意志の顕れとみなすべきものだろう。
ゆすり、たかり、媚び売りといったチンピラな能力しかない我が国のマスメディアの言表によって構成される日本は確かにどん詰まりなのかも知れず、それゆえに「いきがり、強がるだけのデタラメな力」をいたずらに招聘しようとしている。
しかし一方で、少しずつ胎動し始めている新しい日本は、地に足を着けた地道さを厭わず、しかし、優雅さと品格を失わない日本人らしい「生活」とともに歩もうとしている。
類が類を呼んでいるのだ。
一方は、自らの支持者をもネギカモ扱いしか出来ない、虚無に侵された偽者同士が。
一方は、プロフェッショナルの自負を胸に秘めた者同士が。
どちらが政治的に勝利するのかは、私たち国民のメディアリテラシー次第ということになるのだろうが、しかし、こういう画期性を前にするとき、一時的な政治の勝敗など何ほどでもない気にさせられてくる。
一回だけの勝敗……それは持続可能性考慮の視点からは、些末な事象に過ぎない。
人々が集合し談合し癒着するのではなく、
人々が集合し各々の手に持つ“楽器”を奏でることによってハーモナイズしようとすること。
そこから生じるハーモニーは、やがてより多くの人々を感化し、感応させることになるだろう。
また、そうあり得べく努力しなければならない。

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