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2012年12月10日 (月)

『倫理と実利の狭間』あるいは、私たちは“彼ら”を「マスコミ協力識者」「御用お茶の間文化人」として、より正確に認識し、またそう呼んであげるべきだ。

我が国の“識者”と呼ばれる人たちは、その多くの者が「所与の構造」の上に乗っかって訳知り顔をする程度の能力しか有していないように見える。
より正確に言えば、そのような“役割”を恥ずかしげもなくこなせる人間のみを我が国の《談合情報機関=マスコミ/マスメディア/新聞テレビ屋》は、“識者”として持ち上げてみせ、自らの媒体にこれでもかと載せて/乗せてあげる。
そのような、“一定の屈辱”を受け入れる事とそれによる対価とを天秤にかけて、対価を優先する事を選んだ者が、《談合情報機関=新聞テレビ屋》常駐の“便利屋識者”となる“栄誉”に浴することになる。
もちろん、全てがそうだとは言わない。
言わないが、今日の日本の《情報機関=新聞テレビ屋》の救いがたい談合体質を思えば、そのようにみなすほかない。
そして、そのような“識者=便利屋知識商人”がしたり顔で口にする常套句(決まり文句)こそが、「民意」だの「市民感覚」だのといったそれがどこにあるか分からないがゆえに誰も責任をとらなくて良い類いのゴタクだった。
このようなゴタクの上に乗った欺瞞的言論を《ゴタク正義》と呼ぼう。
《ゴタク正義》は「所与の構造」に乗る事で初めて“正義面”をする事が可能になる。
「所与の構造」とはすなわち私たちの社会を形成してきた、通常は誰も疑問を抱かずに済ませてしまう社会構造あるいは社会通念(マスイメージ)のことであって、例えば「官僚は日本で一番優秀な人たち」「検察(特捜部)は巨悪を撃つ正義の味方」「新聞は国民の声を代弁して権力を批判してくれる」「政治家はカネと権力ごっこにしか興味のない卑しい人種」「テレビはタダで見られる愉快な娯楽箱にして速報性のある報道媒体」などなどだった。
しかし、もはや誰の目にもと言えば少し大袈裟かも知れないが、多少なりとも敏感なメディアリテラシーを有する人なら誰しも「所与の構造」を成り立たせていた前提条件が崩壊しつつあることに気付いて来ているはずだ。
「なぜお笑い屋が報道番組の司会を任されているのか」「なぜテレビニュースはどのチャンネルも同じニュースを同じ価値観でいつもたれ流すばかりなのか」「なぜ新聞は中立を装いながらまともな両論併記もできないのか」「なぜ、多くの人間が既に信頼感に乏しいと評価している世論調査なるものを、批判の声には目もくれずに頻繁に流し続けるのか」「なぜいつまで経っても記者クラブなるものは存在し続けているのか」
細かなことまで指摘し始めれば切りがないのだが、これらの「疑問の渦」は一定の力となって“地殻”に与えられ続けているため、実際には“地殻”の側にも目に見えないほどの亀裂やズレや歪みが入り始めていることも確かだろう。
本来なら、そうした“地殻変動”に関するデータをいちはやく収集し、普通に暮らしているだけでは不可視の“地殻のズレ具合”を極力可視化した上で適切な〈議論の台座〉=〈視座〉を提供する役割を担う者たちこそがジャーナリストだったはずであり、社会的役割分担としてのジャーナリズムだったはずなのである。
勿論、今でもそのような役割を律儀に果たそうとしている人も組織も少数ではあるが存在しているだろう。
しかしながら、多くの関係者が「既得権益」と呼ばれる政治経済構造に包囲され取り込まれてしまった結果、俗に言う「八百屋で魚を売る」ようなマネを平気でしているのが現在のマスメディアの実態なのであり、「これも商売だから」などとうそぶきながら(かどうか知らないが)、社会的な役割分担を一切果たそうとしなくなってしまったのが実状と言えるだろう。
そしてそういうものに陰に陽に協力する外部の者たちも、所詮は「所与の構造」に取り込まれた人たちなのであり、彼らのゴタクは「所与の構造」に乗っかる事ではじめて意味を持つようなものである事を私たちは認識しておく必要がある。
権力の守護者にして代理人、あるいは権力への便宜をはかるために学問の良心を平気で売り飛ばすような者を「御用学者」などと呼ぶが、それ同等の役割をお茶の間側の領域で担う者としての「マスコミ協力識者」達の役割と振る舞いに私たちは監視の目を怠らないようにしなければならない。
「御用学者」の方は審議会や諮問委員会などではいかにも重宝するのだろうが、お茶の間メディア向きではないことが多い。
そこで、生み出されたのが「マスコミ協力識者」「御用お茶の間文化人」と呼ばれるべき人々で、いつ“本業”に携わっているのか怪しいほどに、いつの間にか「テレビ」や「新聞」に常駐し、専門外のことにまで平気でコメントして恥じない役割を負っている。
マスコミは彼らを「コメンテーター」と呼んでほしいようだが、私たちはそんなものに唯々諾々と従う必要はあるまい。彼らは間違いなく「マスコミ協力識者」「御用お茶の間文化人」と呼ばれるべきであり、そのような目的によりリクルートされた“特殊な”使命/任務を帯びた人たちとみなすことが最も“合理的”だ。
今やブログやツイッターなど、ネットにおける自由発言環境が整った時代に、いかにも“識者”“文化人”ぶった者が、しかしあまりにもレベルの低いことを平気でしゃべり散らす「コメント」なるものが必要だろうか。
少なくともその“需要”は著しく減少しているはずであり、まもなく“商売”として成り立たなくなるのは必定だろう。
“彼ら”まともに相手にすべきでない人については、だから、どんな肩書きを引っ提げていようが一切相手にしない、仮に相手にするのなら端から鼻で笑ってあげるべきだ。
それが、“彼ら”に対して私たちが唯一取るべき礼儀作法だと思う。
私たちが礼儀正しくなればなるほど、哀れな人々の“無責任な遊び場”は加速度的に減少して行くことだろう。
しかし、彼らは本来、専門家として十分に喰って行けるはずの人たちではなかったのか。
専門があるのなら専門分野に戻っていただく。そこにどんな不都合があるだろう。
「報道」の分野には「ジャーナリスト」がいれば良いのであり、専門家の見解がほしければその都度取れば良い。そういうシンブルさに立ち戻ることこそ、持続可能な“商売環境”を現メディアに与えるはずだ。


(もちろん、こういうことは、彼らに自浄力など端からないだろうことを見越した上で、からかいの“ためにする”議論として表明している。どうやら私は、“良心的な”人間ではないようなので。少なくとも「対マスメディア」においては。)

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

今晩は。感想ではなく,以下のブログで,少し気になる記事を見ましたのでお知らせをいたします。
http://canadadenihongo.blogspot.jp/2012/12/blog-post_9078.html
Monday, December 10, 2012 タイトル『小沢一郎氏が街頭演説で暴漢に襲われるも、全く動揺なく演説を続ける 』

本文文末より引用。「お知らせ:日本一新の会 メルマガによると、日本外国特派員協会(通称:外国人記者クラブ)で小沢氏の記者会見があるらしい。
日本外国特派員協会プロフェッショナルランチョン"日本の政治情勢に関する小沢一郎" 日本未来の党のメンバー 小沢一郎 前衆議院議員
2012年12月12日(水曜日) 11:00~12:30
以上,よろしく御覧下さい。

投稿: 植杉レイナ | 2012年12月11日 (火) 18時01分

以下,zakzakのニュース,とりあえず全文引用さし上げますのでご覧ください。これもまた,マスメディアは,無視するのでしょうか?
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121211/plt1212111139005-n1.htm
「未来」超大物、都内遊説で大ハプニング “暴漢”が不意打ち2012.12.11
 日本未来の党(未来)の小沢一郎氏が、都内遊説に乗り出した。公示日の比例名簿提出のゴタゴタ劇もあり、未来候補が伸び悩むなか、議席上積みを狙ったものだ。「剛腕」と恐れられた古参政治家を目当てに、行く先々で多くの有権者が集まったが、何と、東京スカイツリー前では、ツバを吐きかけられるハプニングも発生した。
 浸透度が足りない未来のテコ入れのため、10日、JR中野駅前を皮切りに都内6カ所で街頭演説を行った小沢氏。「国民の生活が第一」から丸ごと合流した「子分」たちは、南関東中心の東日本から数多く出馬しているが、報道機関の情勢調査では「やや劣勢」「苦戦」ばかりだ。
 このため、小沢氏は街頭演説で「原発を推進し、所得格差を作り出したのは自民党だ」「野田佳彦首相は『シロアリがいるムダをなくす』と言ったが、野田政権でシロアリが増殖した」「大政翼賛会的政権ができたら大変なことになる」などと、与野党関係なく他党攻撃を続けた。
 午後2時半過ぎには、小沢氏は東京スカイツリー前に到着。年配の女性からプレゼントをもらってご機嫌だったが、その直後、約100人を前にして街頭演説を始めたところ“暴漢”が現れた。
 60代ぐらいの男性が「○○へ帰れ! この野郎!」などと小沢氏に向かって叫んだ後、突然近づき、「ブッ、ブッ」とツバを吐きかけたのだ。男性は警察官らにすぐ取り押さえられ、現場は一時騒然とした雰囲気になった。
 小沢氏は、騒動に動揺することなく演説を続けていたが、その度胸はさすがというべきか…。 (安積明子)

投稿: 植杉レイナ | 2012年12月11日 (火) 19時42分

植杉さま、情報ありがとうございます。

取り急ぎ返信を。
ZAKZAKは、産経系列のネットメディアですから、マスメディアの範疇といって良いと思います。
許し難い事件というより、これほど国民に嫌われている小沢という方向で利用するのでしょうね。

穿った見方ですが、唾吐き犯人は、どこかの組織の計算ずくの嫌がらせの可能性ありでしょう。

世の中、本当に意志的に犯罪をおかす人間がいるように、どこまでも姑息で卑劣な人間はやはりいるものだと予め予測しておくことが大切だと思います。

投稿: にいのり | 2012年12月11日 (火) 20時00分

とりあえずのお知らせで,うっかりしました。たしかにzakzakは夕刊フジのwebヴァージョンで,大手マスコミと記入するところでした。お詫びとともに訂正いたいますとともに,ご指摘いただいて,ありがとうございます。
しかし,しかし,犯人を男ではなく「男性」と書き続け,○○という伏せ字までありのこんなヒドイ記事を記名(安積明子)で出す「その度胸は,さすがというべきか…。」
今日の蛇足。サンケイグループは,北海道ではとても影が薄いのです。キティちゃんとビッグ・コミックが大好きだったわたくしの母は北海道出身で,今日12月12日が誕生日でした。2012年で,生きていれば,トリプル・ダズンとか言って盛り上がったろうなあ,と。

投稿: 植杉レイナ | 2012年12月12日 (水) 12時01分

植杉さま、コメントありがとうございます。

今日は、ご存命なら御母堂にとって記念的な並び数字の日だったのですね。

それにしても、確信犯かどうかは分かりませんが、産経新聞あたりに入ってしまったような恐らく若い女性記者というものは哀れなものですね。
いわゆる「新興宗教」などと同じレベルで、救い出してやらなければならない対象なのではないでしょうか。

「北朝鮮」にまんまと騙されながら(正確には北朝鮮政府からは虚偽の発表は一切なされていないのですが)、その情報源と言えば韓国政府で、そこに頼りっぱなし、自国の政府はいったい何をやっているのかの一言も発することのできない談合屋どもは、ある意味で北朝鮮よりも悲惨かつ低レベルだということを心の底から認識しないといけないと思います。

投稿: にいのり | 2012年12月12日 (水) 19時11分

きのう午後の,外国特派員協会(通称外国人記者クラブ)での,小沢一郎のスピーチを文字起ししました。You Streamでも視聴可能ですが,1時間12分聞くより,読んだ方が速いと思って,文字起ししました。校正はしていません。文責は,私個人にあります。量が多いので,先ほどブログを始めました。お忙しくなければ,どうぞご覧下さい。http://4472752.at.webry.info/201212/article_2.html

投稿: 植杉レイナ | 2012年12月13日 (木) 10時39分

>>「報道」の分野には「ジャーナリスト」がいれば良いのであり<<

今晩は、お久しぶりです。 ほんとうにそのとおりです。
昨夜の原発再稼働反対集会は、前代未聞のマスコミ帰れ・コールがあったようですね。僕は仕事が9時まで、ほとんど参加できていませんが、このエントリーも、ジャーナリスト田中龍作氏の記事も励みになっています。御存知でしょうが、URLを記入させて下さい。   http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005830

投稿: 穣 | 2012年12月15日 (土) 20時04分

植杉さま、コメントありがとうございます。

以前、どなたかのブログの書き起こし記事を絶賛した覚えがありますが、
外国人記者クラブにおける小沢インタビューの書き起こし、大変苦労の多いことを即座にやってのけられ、本当にありがとうございます。

あの記事を下地としたものを何か書きたいと思っていましたが、
今日はずっと気になっていたことを、先に書いてしまいました。

訪問先のコメントにも書きましたが、気長にマイペースでお続けください。

投稿: にいのり | 2012年12月15日 (土) 21時52分

穣さま、コメントありがとうございます。

田中龍作氏、読者からの購読料のみで記者活動を続ける本当に気骨のあるジャーナリストですよね。

ジャーナリストと呼ぶべきは彼のような人であり、新聞テレビの社員は、要するにサラリーマンでしかなく、もうジャーナリストとは呼びたくありませんね。

「サラマン記者」とか、それが蔑称的だとすれば、「記者サラリーマン」とでも呼べば良いのではないでしょうか。
「朝日新聞」の「記者サラリーマン」の記事によると……とか、そういった感じで。


ともかく、自分の生活を守りたいのは山々だが、公正にして公平な社会も守りたい、というのは私たちの素直にして率直な気持ちだと思うのです。

「平等」という概念はどうもしっくり来ませんが、「公正にして公平な」と換言すれば、やはり、現在は「公正であること」「公平であること」が不当に貶められようとしているとしか思えません。
民主党のテレビCMを今日初めて見まして、正直吐き気がしました、食事時だったというのに。

“蓼食う虫も好き好き”ですが、明日は賢明な行動が取れるよう、思慮深くかつ積極的に“行為”しましょう。

投稿: にいのり | 2012年12月15日 (土) 22時12分

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