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2012年12月 4日 (火)

安倍晋三は歴史に残る立派な指導者になることができるだろうか。

安倍晋三に対する報道犯罪事件が既に幾例か生じているようだ。
安倍自身かなり神経質になっているようで、それらに対しては積極的な指摘や反論を試みているらしい。
当然のことだろう。
人は誰しも自己の権利を正当ならざる理由によって侵されてはならないのであり、報道犯罪者集団による根拠薄弱な情報の流布、情報操作、特に政治的な意図をあからさまに内包した悪質なデマゴギー等に対しては決然とした姿勢で臨み、確信的誤報/虚報を意図的に流布する“報道犯罪”についてはそれ相応の責任を取らせるべきなのだ。
ただ、これまでの安倍晋三という人は、自己への権利侵害に対しては非常に敏感なようだが、他人に対する権利侵害については殆ど無頓着だったように見える。
だが、それでは、立派な指導者として全国民的な信頼と尊敬を勝ち得ることは難しいと言うしかない。
政治家の〈業績〉とは、結局、反対勢力の者すら一目置かざるを得ないような、あるいは納得せざるを得ないような〈結果〉を残した時に確定する。
公正にみて明らかに不正常な、悪意のみを内包した報道によって、安倍自身や周囲の仲間が窮地に追い込まれるような場面はこれまでも数々あったし、忘れられないのは、前安倍内閣時代の現役農林水産大臣の自殺事件だ。
その影には、当時の敵対勢力だった民主党からの政治的策動もあったかも知れない。しかし、今では当該大臣の抱えていた問題がどれほど悪質であったのか判然とせず、同じような問題を抱えている野田や前原がまともに責められることのない事務所費問題で、当時のマスコミは当該大臣に国民の軽蔑の視線が一点に集中し続けるように仕向け、偏執的に粘着し、そして事件は起きたのだった。(噂では自民党内の一部勢力が噛んでいたなどということも囁かれていたようだが、私のような者には事の真相を云々するだけの情報も手段もない)
当時、国政を担う中で各方面から集中砲火のような誹謗中傷を浴びせかけられ、ポビュリズムに乗っかり、商売のことしか頭にないような下賤な報道商人たちの報道被害にあった身として、今日のマスコミ/マスメディアの落ちぶれようが、いかに国家利益を毀損させているかについては、安倍自身が十分に承知しているところだろう。
もし安倍が何に憚ることもない立派な国民的指導者たらんと思えば、自らの挟隘な利害関係にのみ拘るのではなく、そのような経験から得た教訓を社会全体に還元し、現在の自民党の選挙スローガンではないが、日本に「公正な言論環境を取り戻す」「正々堂々とした議論の場を取り戻す」ことを政治的目標として掲げ取り組むべきだろう。
安倍晋三という政治家が、単なる自民党右派の一政治家というものから、国民的政治家に脱皮し大成するには、薄気味の悪い報道商人が網を張り巡らす“場”から一段高みに抜け出て、国内的にも国際的にも「邪悪な力学に負けない公正にして力強い日本を取り戻す」ことに力を尽くすことにあるはずだ。


残念ながら、安倍の支持者には、自らの醜い人格をネット上にさらして恥もせず、安倍の応援をしたいのか安倍の足を引っ張りたいのか本当のところは判然としないような方々が多いようだ。
このような者たちに支持されて多数を獲得しても、それはやはり浅薄な勝利なのであり、より本質的で決定的な勝利を勝ち取るためには、やはり、自らの支持者・支援者を自らが誇れるような高みにまで上る必要がある。
小沢一郎の自信の源泉は、自分の支持者/支援者の大部分が、「生活する者としての真っ当さ」を有しているという確信からもたらされているのだと思う。
中には私のようなちゃらんぽらんな者が、小沢一郎の才能に魅せられて、勝手なエールを送っているケースもあるがあくまでも少数派であり、例えばネット内の玉石混淆の政治的意見をざっと俯瞰してみても、小沢支持者の言論は、社会人として常識をふまえた者の意見が間違いなく多い。
そのネット言論で知ったのだが、たかり報道商人「記者クラブ」主催の党首討論において、読売の橋本とかなんとかいうたかり屋代表は、「日本未来の党」代表に、「なぜあなた方は小沢さんをそんなに怖がるのか」と逆質問されて「怖いんじゃないんです嫌なんです」とかなんとか返答したとのこと。小学校のいじめ問題の先生と生徒との会話でもあるまいに、明らかに病的な幼児退向を発症しているとしか考えられず、そのような異常な人間が、さすがはたかり商人というしかない選考基準によって代表質問者の一人として抜擢されていたというのだから、いったい「記者クラブ」というのはどんな犯罪意図を隠し持つ組織なのか冗談ではなく疑うべきだ。
こういうレベルの者たちをいかにまともに相手にしないようにしながら、国民全般の意識に公平・公正さというものの肝を認識せしめるかは、ひとえにこれからの日本を担う政治指導者の質にかかってくると言わねばならない。
私はかねてより、個人的には賛同しかねるそのタカ派的言動如何に関わらず、安倍晋三という政治家には「卑怯さ」の要素の少ない人格を見て、その点については評価してきた。
政権奪還の可能性の高い次期自民党政権が、各種の圧力に敗北して“卑怯さ”の中に溺れて談合腐敗政治を遂行したり、あるいは向こう見ずの強がり、はったりだけの強権政治を実行するだけでは、いよいよ日本の行き詰まりは確定し、行き止まりは吹き溜まりの惨状を呈するのではないかと危惧している。
もう、堕落し切った日本のマスコミを、国民全般がいちいち相手にしないでも済むような環境の醸成というものを、強圧的ではない手段により政治工程に上らせる時期に来ている。
それは何も小沢一郎がやらなければならないことではなく、他の立派な政治家たらんとする者が行っても良い政策である。
地をはいつくばり、他人の残飯をあさっては、立派な人にたかって、ゆすりや脅しやスカシで飯を喰らうような薄汚い集団を、私たちは必要としていない。
単にIQ云々などという下らないことではなく、一定のレベル以上の人物によって治世がなされなければ、やはり、その共同体はどこまでも腐って行ってしまうだろう。
やれイデオロギー云々、右派左派云々以前に、そういうことに歯止めをかけられるか否かの分水嶺にさしかかっているというのが、日本の現状/惨状をめぐる私の判断だ。

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コメント

「やれイデオロギー云々、右派左派云々以前に、そういうことに歯止めをかけられるか否かの分水嶺にさしかかっているというのが、日本の現状/惨状をめぐる私の判断だ。」こうした発信を,ロナルド・ドーア氏に伝えたいものです。
月刊誌『選択』12月号巻頭インタビューでのロナルド・ドーア氏によれば『日本の政治をみると、シングルイシューに陥りやすい。(中略)その責任の一端は、ものの見方が非常に狭く、しかも横並びのメディアの在り方にあるのは確かだ。(中略)ここにこそ、国民の政治的関心が画一化し育たない原因がある。』『日本の場合、劣化する政治を陰で支えていたのは官僚の存在だが、昨今の官僚の質的低下が深刻だ。(中略)こうした状況の中で、政治に対する国民意識が変わらず、政治の劣化を放置し続けるならば、日本は変わらないどころか、以前よりももっと悪い状態になってしまうにちがいない。』
わたくしとしては,良い変化を醸成することを望む人びとが少しずつ浮上して来ているようにもかんじるのですが,「日本の現状/惨状」とは,とりもなおさず「世界の先進国の現状/惨状」を言い当てていることばのように,おもいます。

投稿: 植杉レイナ | 2012年12月 5日 (水) 08時15分

植杉さま、いつも的確な評言、ありがとうございます。
ご紹介してくださったロナルド・ドーアの言葉は、短い中でも、日本の抱えている問題点、改善点を的確に指摘していると思います。
と、同時に、おっしゃるように、抱えている個々の問題点は微妙に異なっていても、世界的に制度の劣化、疲弊、行き詰まりが生じており、国内の矛盾を外部に放り投げて糊塗しようという動きが強くなっているように思います。
こういう混乱期に必要なのは、一見迂遠のように見えても柄谷行人のやっているような「起源についての考察」だと思います。
柄谷は、今度、『哲学の起源』というかなり大胆な書を世に問うたようですが、まだ私は手にとってみていません。
しかし、柄谷が起源について考察することで、混迷する状況の中に突破点を見出だそうとしている思考のベクトルは良く分かるような気がします。

問題は、一部の聡明な人を除いて、官僚もマスメディアもそして多くの学者でさえそうした知的向上心を喪失し、能書き(教条)にすがりついて事態をやり過ごそうとしているようにしか見えない点です。
人間の思考すら産業化に適しないものには用がないかのように振る舞う人たちは、しかし、「産業の過剰」と「精神の貧困」を巡る本質的な“需給ギャップ”には口をつぐんでいます。
この辺をどうするか。

私たちのような素人が、素直な気持ちを吐露していくしかないのではないかとも思います、「これ以上の精神の貧困/枯渇に苦しみたくないのだ」と。

投稿: にいのり | 2012年12月 5日 (水) 22時29分

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