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2013年4月 6日 (土)

『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を読み進めるにあたっての補助線


村上春樹は、初期の頃から「教訓」ということにこだわっていた。
なにゆえ「教訓」にこだわるのか。
彼がいわばファインアートとしての「言語芸術/純文学」よりも、「教訓」として機能する「寓話的想像力」に自らの優性/適性/資質を見ていたからだろう。
もちろん、そこには自ら書くものについての若干の含羞と、自己満足的あるいは観念的に過ぎると見えなくもないファイン・アートの孤高に対する批評の意も込められているのだろうが、実際、村上春樹の書くものには、私たちの多くが現代を生きる上でいわば実践/実戦上強いられる「いかに孤独に対処すべきか」(孤独になること/孤独であらざるを得ないことについての生き方)ということに対する教訓に満ち、「孤独に生きること」の内にある冒険上の寓話性に満ちていることは確かだろう。
村上春樹の短編小説集『TVピープル』の中には『我らの時代のフォークロア――高度資本主義前史』という短編が載っている。
ここで言う「フォークロア(民間伝承)」とは何か…「高度資本主義」が始まる前のクラスに一組ぐらいはいたミスター・クリーンとミス・クリーンの純愛(?)顛末……。『これは彼らの話である。たいして愉快な話でもないし、教訓みたいなものもない。でもそれは彼らの話であり、僕ら自身の話である。だからつまり、フォークロアなのだ。』

ところで、教訓に似ているものに道徳がある。
教訓と道徳の違いは、辞書を引いても良く分からない。
しかし、こんな例え話をすれば分かりやすいかもしれない。
「ドラえもん」という人気マンガがある。おそらく、日本人、いや今ではアジア人の多くが良く知るマンガ/アニメだ。(「ドラえもん」が欧米で受けたという話は文字通り寡聞ながらよく知らない)
この「ドラえもん」、道徳的とはお世辞にも言えない物語構造を頑なに守り続けてはやウン十年。何が道徳的ではないかって、なにしろ、主人公の「のび太」が何か困難に出会うたびに、ロボット猫である「ドラえもん」が、ナントカポケットから、夢のような機械を取り出して来ては「のび太」の願いをあっという間にかなえてしまうのである。しかも、「のび太」の願い/依頼は、大抵はろくでもない/不真面目な/めんどくさがり屋特有の/ご都合主義的なものでしかない。まったくそんな奴の願いをイヤな顔一つせずかなえてあげる「ドラえもん」には、「日本銀行」も太刀打ち出来やしない。じつに“不道徳な”物語ではないか。
しかし、この物語は、示唆に富む重要な教訓に満ち満ちたものだ。なにしろ、「のび太」が「ドラえもん」に頼っている限り、「のび太」はいつまで経っても永遠に「のび太」でしかないのだから。
(「のび太」は、いつでも、もう「のび太」だなんて呼ばせない!という固い決意のもと、でもやっぱり「ドラえもん」に頼りきってしまう。「のび太」は、もう「のび太」なんてイヤだ、コリゴリだと、強く思えば思うほど「ドラえもん」のプレゼンスが増すという物語構造の内部に生きており、つまり、「のび太」とは、どこかの国の代々の首相の表徴とでも言うべき存在なのだ)
一方、ミスター・クリーンとミス・クリーンの、なにがしかの“道徳の実践物語”は、作者の言う通り何の教訓も残してはいない。
彼らは未婚時にも、別れた後の再会時にも、一口に言えば「無責任なセックスだけはしなかったし、できなかった」、話としてはそれだけのことだ。
そして、その“道徳的な行為”は、『高度資本主義』を形成した主役である『王様』と『家来』にとっては、『腹を抱えておお笑いをする』対象になるようなものにいつしか格下げされていたのである。
でも、なぜ。
こんな、「ゲーム理論」のテーマにもならないような“非功利的な道徳的実践”など、“経済的に”何の意味もないから……きっと、そういうことなんだろう。
経済的に意味のないことに思い悩むのは無意味だと、だから、『高度資本主義』側の主役である『王様も家来もみんな腹を抱えておお笑い』するのだ。
だが、村上は、話の最後にこう書き記している。
『僕は思うのだけれど、最初にも断ったように、この話には教訓と呼べるようなものはない。でもこれは彼の身に起こった話であり、我々みんなの身に起こった話である。だから僕にはその話を聞いてもおお笑いなんかできなかったし、今だってできないのだ』と。


(ところで、「教訓」を「教訓」として認識できず、当然機能させることも出来ないような人々が、「道徳」を教える必要を声高に唱えるという奇妙な事態については、「高度資本主義」下の奴隷たちが、おお笑いしてしまったとしても、誰もそれを諫めることは出来ないにちがいないと思わずにはいられない)

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