« 『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を読み進めるにあたっての補助線 | トップページ | 私たちは、<のび太シンドローム>から、いつになったら/どうすれば、帰還/脱出することができるのか。 (カーゴ・カルトの一類型としての「ドラえもん」/「日米安保」) »

2013年4月 8日 (月)

『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を読み進めるにあたっての補助線(3?)

今、私の手元には、『日本経済新聞』とかいう名称を持つ新聞の4/6(土)付の地方版があります。
その一面には『異次元緩和 国債揺らす』なる活字がおどっています。
その「異次元緩和」とやらの発表の翌日、「金融市場」で何が起きたかと言いますと『朝方押し寄せる注文』→『情報交錯で価格急落』なんだそうです。
リード文の記者だか編集委員だかの判断によれば、『大胆緩和を好感した円安・株高の流れは続く公算だが、「黒田ショック」を市場が消化するには時間がかかりそうだ』なんだそうです。
記事によれば、4日の日銀の市場予想を超える緩和内容に、『債権ディーラー』とかいう人たちの『焦りに火が付いた』んだそうです。
『「買い遅れるな」』とのことのようです。
『ところが午後になると市場の様相は一変』、根拠のあやふやな情報が飛び交う中(笑)、『債権の先物市場で価格が値幅制限いっぱいに急落し、取引所が一時的に売買を停止するサーキットブレーカーを』二度も発動させる羽目になったとのことです(笑)。
何か、その出来事自体が、私には“異次元”での出来事のように思われてならないのですが、考えてみれば、私たちの身近にあるパチンコ屋でも似たようなことが起こります(笑)。
特に新装開店日なんかはそうで、「パーラー日銀」(笑)だか「パーラー日托」だかナンダカ知りませんが、そういうお店の新装開店日などは、普段は目にしないいかにもプロみたいな人たち(笑)がどこからともなく大勢集まり、整然と列をなしながらも、暗く殺気だった雰囲気で開店を待ち、開店と同時に店内になだれ込んで行きます。
「座り遅れるな!」(笑)
「パーラー日銀」店長が示した予想を超える出血大サーピス予告を前にして、パチプロのお尻にも火が付くのです。(笑)
午前中は、そんないかにもプロみたいな人たち(笑)が、財布の中身など気にする素振りも見せず、目を血走らせて一心不乱に打ち込み始め、ほどなくしてそこかしこでフィーバー(?)の大音響が轟き始めます。
いわゆる「ドヤ顔」をして周囲を見渡すいかにもいかにもプロみたいな人たち(笑)が続出するのです。
ところが午後になると店内の様相は一変(笑)。
「店長の仕込みで午後は出さねぇ!」「なんだ、遠隔操作か?」「設定6の台の割合がどうしたこうした」「どうもこね台の釘がおかしい…アホか、いつの時代の話してんだ」「伝説のパチプロ、ナントカソロスさんの顔が見えないぜ!!こりゃあ、何かある」「ソロスさんじゃなくて、ソロエマスさんじゃなかったっけ?」「こんな時にそんな脱力するダジャレをかましてんじゃねぇ」
根拠もあやふやな交錯する情報と凍りつくようなダジャレに動揺したいかにもプロみたいな人たち(笑)の間で、席を立つ人が続出。
離席率が一時、70%以上に上昇、それを見たコーヒーレディたちは、なぜか突如レースクイーンのコスチュームに着替え、着席客(遊戯客)ひとりひとりに語りかけ始めます。「サーキットブレーカー」の発動です(笑)。
「長年各種のパーラーを見てきたが、1日でこれほど振れるのは初めて」(高級ナントカ出版のスーパーアナライズドチーフストラテジストJr.(笑))
どうやらいかにもプロみたいな人たち(笑)の間でも、肝心の「パーラー日銀」新店長の動きはまだ読めないようです。
一方、ナントカ高級出版のドリームマーケティングブラックエコノミックハイパーストラテジスト48(笑)(長いので略すとDMBEHS48(笑))は、「パーラー日銀」が、業界の「取らぬ狸の皮算用」になると指摘。「適正な出玉を形成するエンタメ機能が失われる」と、どんな勉強をしてきたのか知りませんが、深刻な表情で警鐘を鳴らすんだそうです。

もう賢明な読者の皆様ならお分かりでしょうが(笑)、はっきり言って、扱うものが中央銀行券だろうが国債だろうがパチンコ玉だろうがパチスロコインだろうが、客を煽る側も、そこに客として群がるいかにもプロみたいな人たち(笑)も、やってることにさして変わりはありませんし、ここが肝心なところですが、人間の質もさして変わりません。
(彼らの中にも、たまには、この台が大好きでいくら負けても幸せさ、とか、このメーカーは是が非でも応援したいから、という“素朴にして高邁な人”も、少数ながら存在するのでしょうが)
要は同じアナのムジナ連中ということです。パチンコだって、どうしても勝ちたければ、適切なデータの蓄積とそれら多項目に渡るデータを用いた多変量解析及びアニマルスピリッツな経験と勘とが必要になりますし、台移動自由、出玉共有可であれば、適切なヘッジを張ることも可能です。
しかし、ひっくるめて言ってしまうなら、多変量解析を勉強して、何のために使っているのか。下らないものの予想を当てるために使っているだけです。ご立派なストラテジーとは何のためにあるのか。アブク銭を手にするためにあるのみです。
にもかかわらず、一方は必要以上にお高くとまり、一方は標準よりも一段格下の存在として見下げられているのも、これまた現実です。
なぜなのでしょうか?
パチンコなら、ヒトサマのカネを借りてまでやる人は少数でしょうが、一方は人のカネを借りてやるのは当然のこと、いわば架空のカネであるレバレッジなんてものをきかせるのも平気のヘイザでしょう。
にもかかわらず、一方は社会の厄介者扱いで、一方は高級なステイタスを獲得しているかのような顔をしています。
なぜなのでしょうか(笑)

なぜ、パチンコ雑誌のライターは下卑たような奴に決まっているはずで、日本経済新聞のライターは高級にして俊敏な人間のはずなのでしょうか(笑)。

一方が偉そうな顔をしていられるのは、自分たちの“もてあそんでいるオカネ”を、実体経済(実物経済)を担っている人々も使っている/必要としていることを知っているからでしょう。
もう一方の人たちが社会的に偉そうな顔が出来ないのは、自分たちの関与している玉やコイン(貨幣の一種にはちがいない)は、そのお店の内部でだけしか通用せず、社会に流通させることができないことを知っているからでしょう。
でも、やっていることは、「パーラー日銀」店長も「日本銀行」総裁も大して違いはしない。日々の日常において細やかな計算と予測をこなす能力においては、「パーラー日銀」店長の方が優れている可能性すらある。
にもかかわらず、「日銀総裁」の方が偉そうな顔をしていられるのは、扱っている“商品”の影響力、つまり流通の規模と範囲が異なっているからで、それだけに過ぎないでしょう。
その影響力の由来するところも、もとを質せば、社会的合意の上に成り立っているに過ぎず、ある日、奇蹟が起きて、明日からは「パーラー日銀」の発行するコインが日本の通貨であり、「日本銀行券」は、日本銀行建家内の売店でしか使えませんよ、という社会的合意が突如として成立すれば(笑)、みんな馬鹿馬鹿しくて日本銀行券など投げ捨てるに決まっています。
ただ、そんなことは起こらないと皆が固く信じているがゆえに、そんなことが起きる確率も非常に小さくなっているというだけに過ぎない。
ポイントは、ですから社会的合意であり、社会的正統性という点にあるということでしょう。
このような正統性というものは、何に由来してどのような経緯によって発生しているのでしょうか。
一般的な「貨幣」それ自体の発生/起源ということを考えるのなら、これはまた別の議論になるのでしょうがが、「日本銀行券」のような“近代貨幣”の発生/起源を考える場合、これは国民国家の成立と不可分のものと言えるでしょう。
つまり、「¥」や「$」が、「¥」や「$」であるのは、同一性の問題であり、すなわち人のアイデンティティーの問題と不可分の、あるいは入れ子状の関係にあると言うことでしょう。
これを平気で売り買いするということは、ですから、本当は実に恐ろしい行為をしていることになります。

『経済ジェノサイド』では、第三章「誰もそれを止められない――市場原理の例外としての貨幣」とタイトルされた章が設けられていますが、そこに次のような記述があります。
『ポラニーがいったことだが、それでも商品にしてはいけないもの、ほかの商品とは同列に扱えないものが三つあった。人間と、大地をはじめとする自然、そして貨幣である。しかし残念ながら人間は、それらも含めてあらゆるものを商品にした。もし市場という制度がそれ自体で力をもつという見方をするなら、人間が圧倒的な力に屈したともいえる』(167頁)
重要な指摘であり、一方、しかし、『人間が市場の圧倒的な力に屈した』のではなく、やはり、「一部の人間の手によって、すなわち思想によって、暗示誘導されたのだ」と考えるべきと思われます。
なぜなら、ある意味では、見事な“疑似市場”を運営している「パーラー日銀」の店長は、しかし、やはり、どうしても社会的に一段下に見られており、その社会的合意はなかなか崩れそうもないからです。
それは、そこに歴史的な無意識が働いているからであり、そこに無用な差別意識が関与してくることに警戒的にならなければならないとしても、「金融」だけでは大勢が喰って行くことはどうしたって出来ないことを、私たちの歴史的無意識が促しているからに他ならないと言えるのではないでしょうか。
主役を「金融」が張るというのは、どう考えても「倒錯」…、というよりも「現実離れした現実」でしょう。
舞台における主役は、やはり役者です。演出家も大道具も舞台を成り立たせるために重要な必要不可欠なものだとしても、主役は役者でしょう。「金融」が演出家なのか大道具なのか知りませんが、たとえどんなに才能のある立派な演出家であっても、役者が舞台で演じてくれないことにはどうにもなりません。
「中央銀行」が、あたかも主役であるかのように躍り出てくる経済、経済社会。
それは、既に病んでしまった経済社会という強い自覚が私たちには必要なのではないでしょうか。
事態打開のために何らかの異例の措置が取られることを全面的に否定しようとは思いません。
しかし、患者が、「オレは平気だ、頑丈に出来てる」と言いながら、大酒くらってギャンブルやっているようでは、ちょっとおしまいでしょうと言わなければならないのではないでしょうか。
緊急措置とは別に、「病んだ制度」を別の制度に乗せ換えるための<連結線>のようなものを真摯に準備していかないことには、諸社会の持続性は確保しにくいところまで来ているととらえるべきなのではないでしょうか。

|

« 『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を読み進めるにあたっての補助線 | トップページ | 私たちは、<のび太シンドローム>から、いつになったら/どうすれば、帰還/脱出することができるのか。 (カーゴ・カルトの一類型としての「ドラえもん」/「日米安保」) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1182932/51149116

この記事へのトラックバック一覧です: 『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を読み進めるにあたっての補助線(3?):

« 『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を読み進めるにあたっての補助線 | トップページ | 私たちは、<のび太シンドローム>から、いつになったら/どうすれば、帰還/脱出することができるのか。 (カーゴ・カルトの一類型としての「ドラえもん」/「日米安保」) »