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2013年5月 3日 (金)

私たちは、〈のび太シンドローム〉から、いつになったら/どうすれば、帰還/脱出できるのか。4

(『経済ジェノサイド』(平凡社新書)を読み進めるにあたっての補助線⑦)


さて、そこで「のび太」だ。
「のび太」を生んでしまったのは、藤子・F・不二雄その人なのだから、そこには当然、作者/作家としての責任も付随してくるのだが、きつい言い方をしてしまえば、『ドラえもん』が他の多くの藤子・F・不二雄作品のように他愛のない忘れ去られるべき作品で終わったなら、「のび太」というキャラクターもその生命を維持されるはずがなかったものである。
つまり、「のび太」とは稀少動物のようにして生き残ってしまったマンガ=内=存在なのだと言え、マンガ作品『ドラえもん』が、何らかの理由で圧倒的なポピュラリティを獲得するにいたったことにより、「のび太」といういわば「負のヒーロー」も生き残りを果たすことになったのである。
それにしても、『ドラえもん』物語は、ロボット猫のデザインがとても可愛らしく、しかも、四次元ポケットというアイデアがあまりにも秀逸で夢に満ちていたから生き残ったのだろうか。
最初にも指摘したように、もちろんそれは重要な要素には違いないが、私はそればかりだとは考えていない。
より本質的には、そこに(作者自身、恐らく十全には意図していなかった)永年の願い/夢が、これ以上ないような形でかなえられたカーゴ・カルト信仰者が登場し、しかも、物語構造として、日本社会の『甘えの構造』(土居健郎)を慰撫し慰留しようとする構造が期せずして巧みに成立してしまっていたからこそ、それは、私たちの間で息の長いポピュラリティを獲得したのだと思える。
ここで、私個人のことに言及することをお許しいただきたい。
私は、小学校のころ親の転勤にともない転校をし、転校先では「田舎の珍しい転校生」という格好のいじめられ対象になった経験を持つ。
転校前は、(自分では悪質な人間だとは思ってはいなかったがしかし)どちらかと言えばいじめっこの側に属していた……というよりも、自分で言うのも何だが女の子にも人気で、いじめっこに「お前、そういうこと、やめろよ」と言えるリーダー的存在だった(……と、少なくともそう主観し、その主観的自己像にふさわしくあるよう振る舞っていた(笑))。
だが、転校した途端、立場は突然、まさにあっという間に変化してしまったのである。
私は、転校したその日から、自分は自分だという、後解釈的に言えばアイデンティティーというものが何の用もなさない境遇に放り投げられ、「なんだか優等生っぽい、受け入れがたい田舎の珍しい転校生」になってしまっていたのだった。
それは、昨夜は正義の味方として八面六臂の活躍をしたスーパーマンが、翌朝出社した途端わけもわからないまま上司にどなられ、しかも、どなられながら大事なマントをどこかに置き忘れたことに気付いたクラーク・ケントのようなものだったと言えば分かりやすいだろうか。
その落差に私の心は大いに傷ついたが、けれども、きっと私の受けたいじめなど大したものではなかったにちがいない。しかし、主観的には、かつていた自分をどこかに置き忘れて来てしまったような喪失感に苛まれ、子ども心に苦悩し、その苦悩から来る苦痛に必死に耐えていたことだけは間違いない。
今になって冷静に思い返すなら、転校前の私は、自分をイッパシのリーダーであるように主観していたのだったが、何のことはない、私はリーダー然と振る舞う時、結局、「衆を恃んだ」上で、タチの悪い(と自分では感じた)奴をやりこめたりしていただけなのである。
その意味で、転校以前の私は確かに紛れのない「いけすかない優等生」でしかなかったのである(笑)。
しかし、転校先で、私に「恃むべき衆」は当然のことながら存在しなかった。それどころか、「恃むべき衆」は、私を訳も分からず目の敵にしてくる“いじめっこ”の側に位置し、私が「A」と言っても、誰もそれに関心を示そうとする者はいなかったのである。
そんなわけで、しばらくの間、私は、孤独に加え、「いかに自分が衆を恃んで誰かをやり込める、いけすかない優等生でしかなかったか」という屈辱的な認識とそれに対する反省に多くの時間を費やすようになっていた。
私に対してさしたる理由もなく突っ掛かって来るいじめっこが、かつての自分と二重映しになり、「ボクはこいつだったのかも知れない、こんなにイヤな奴が、無神経に威張っていただけなのかも知れない」と、ただそれだけを思い、いじめ行為に対して何らかの反応を示すわけでもなく、ひたすら自己嫌悪に苛まれる毎日を送っていた。
それでも私はやがて“共同体=内=居場所”をどうにかこうにか確保するようになるのだが、そのような状態を作り上げるために、では何が必要だったか。
かなり後解釈的なものにはなるが、そのような状況を作り上げるには、「いじめられている側よりも、いじめている側の方が惨めに見えるような状態を、たとえ少しずつでも、自らの手/力で成立させること」が必要なのだった、経験上。
そういうものの蓄積の結果、“衆”のいじめられっこを見る目も変わって来るのであり、その“衆”の変化はいじめっこ側にも伝播し、いじめるべき端緒/モチーフを失って行くのだ。
藤子・F・不二雄も、大層ないじめられっこだったようで、私のように不可避的な環境の変化ではなく、普通に暮らしていたら、いつの間にかいじめられっこになっていたのだから、その過酷さは並大抵のものではなかったに相違ない。
しかし、Wikipediaの中の記述を読めば、彼は、絵の上手さによって、一方的ないじめられっこ環境から抜け出したようである。
つまり、自らの手/力によって状況を打破することによって、初めていじめられっこはいじめられ環境から離脱できるのであり、私同様、藤子・F・不二雄も、それを実際に経験していたのである。
(蛇足になるが、もし、どうしても自分の手/力によっては、打破すべき道が見つけられそうもない場合は、大人に相談し、極力、クラスでも住まいでも移って環境を変えるべきだ。いじめ/いじめられは、やはり関係性の病なのであり、その関係が固定化してくると、双方がその関係性から抜け出し難くなってしまうと思われる)
幼き藤子・F・不二雄がいじめられっこだった頃、彼はどんなにかスーパーマンみたいな人が現れて、自分のために相手をやっつけてくれないものかと願い、そういう場面を夢見たことだろう。
自分の経験からも、幼き日の藤子・F・不二雄が、スーパーマンみたいな存在を待望し、夢見たその祈りにまで達しようとする切実な気持ちは良く分かる。
良く分かるが、しかし、藤子・F・不二雄は、長じてから、幼き日の過酷な日常における孤独な夢想を、編集者に急き立てられるままに、相当なナマの形で単純に物語化すべきではなかったのだ、やはり。
実際、(この富山出身の作者が浄土教とどんな関係にあったか否かとにかかわらず)作者の似姿である「のび太」が、「自力」ではなく「他力」によって「本願」を成就するかのような物語は、作者の現実の体験をも裏切っており、「他力本願」という言葉の本来的なコンセプトをも裏切っている。
しかし、日本人は、結局そのようなものに親和的であり、「こんなことが本当にあったら楽しいね、幸せだよね」という形のおあつらえ向きのポピュラリティを与えてしまったのだ。
「カーゴ・カルト信仰」に近似した誤たれた理解としての「他力本願」は、仏教における「大乗」のコンセプト、「救済」のコンセプトを無化してしまう。
上座部仏教の大乗仏教に対する批判は、それなりに説得力のあるものだが、「大乗」というコンセプトが起こり、それが「他力本願」という現実にかなり即したコンセプトに変遷していくのは、あるしゅの必然性があったと思われるのだが、その「他力本願」という語がほとんど誤解されたまま膾炙されているように、それは、ニヒリズム派と現世御利益派に分派しがちな弱点を抱えているとみなさざるを得ない面もあり、今日安易に用いられる「他力本願」とは、ほとんどカーゴ・カルトとしてのそれになってしまっているとみなすしかあるまい。
この日本的なカーゴ・カルトの受容と瀰漫を近代的な言語に換言するならそれは、『甘えの構造』という言葉に収斂していく。
そして、意識的にか無意識的にか、その構造の中で、いわば“負のヒーロー”として切り出され、カリカチュアライズされた者こそが、「のび太」にほかならないとみなければならない。
そして、私たちが、「のび太」を簡単に突き放せないのは、私たち自身が、どこか一部分、一面であっても「のび太」その人であることを自覚しているからにほかならないのである。

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