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2013年7月22日 (月)

続〈のび太シンドローム〉2 (小沢排除に成功したと主観している者たちは、どんなレベルの仕事をしているのか?)

現在、小沢一郎や、その政治意思に賛同する者たちは、政界の表層から排除されかかっているように見える。
日本の特定の層を形成する一部の人たちは、まんまと小沢排除に成功したと主観しているのかも知れないが、翻って彼らのお仲間の仕事振りをみてみると、ことごとく世界から失笑を買い続けており、前回も記したように、小沢を排除しようと懸命になっている者は、実は小沢の要求に応え得る力量を持たない者の集まりなのであり、第三者的視点からみれば、彼らは小沢に敗北し、敗北ついでに世界から失笑を買うことを今やルーティン化してしまっている者たちなのだ。
この恥ずかしさというものは、実際、筆舌に尽くし難い部分がある。
彼らが、唱える「グローバル」だの「イノベーション」だの「トレンド」だのという言葉は、(この後にも引用文において掲げるが)、もはやどこぞの宗教団体の唱える御題目程度の意味しか担っておらず、言ってみればお経の名称や仏の名称と同じでしかない。それは、「私たちには、同じ価値観を共有したいという信仰心がある、だから私たちを救済してほしい、お仲間に加えてほしい」という告白をしているに過ぎない。しかも、それが閉域でしか通用しない独特のコミュニケーションの形式によってなされるために、世界から「意味不明・理解不能」として失笑されるしかないのだ。

「イノーバ・ブログ」というサイトを管理しているらしい宗像淳という方が、『東京オリンピック招致のサイトが海外で酷評されている訳』と題して、米国のデジタル・マーケティングの第一人者とされるデイビッド・ミーマン・スコットという方の文章を紹介している。
私のようなアウトサイドの人間にとっては、第一人者だか三輪車だか、そんなことはどうでも良いことなのだが、内容が、これまでの自分の論じていることに接触する部分があるので、一部、紹介させていただきたいと思う。

(以下、『』内は引用文)

その文章は原文は英語であり、『世界最悪の英語ウェブサイト』と題されて、次のような出だしで始まっているとのこと。
『2020東京招致の英語サイトがひどい。あまりにひどいので、世界最悪の英語ウェブサイトてしてノミネートしたいと思う。』
次に、件のコンテンツへのリンクが示され、『東京2020のビジョンを見てみよう』との副題とともに、日本文と英文の併記がされている。(訳文は、宗像氏の訳責とのこと)
日本語訳を読んだだけでも、同じ日本人としても顔を覆い以外ないような代物なので、とにかく全文を読んでいただこう。
『東京2020は、ダイナミックなイノベーションとグローバルなインスピレーションを共に実現します。日本人のユニークな価値観やグローバルなトレンドを発信する都市の躍動を試合の力と一体化します。次の世代のために、オリンピックの価値を強化し、磨きをかけるユニークな祝福の式典となるでしょう。そして、多くの世界の若者達に貢献し、夢と希望を与え、スポーツの利点を伝えるのです。』
この文章を紹介した上で、スコット氏は、次のように続ける。(以下、……は、中略の意)
『一体これはどういう意味だ?
これほど意味不明な文章は、正直未だかつて読んだことがない。陳腐で意味不明な言葉の羅列だ。イノベーション、グローバル・インスピレーション、ユニークなバリューなどなど。これらは、英語のマーケティングの文章などで、あまりにも使われ過ぎて、言葉が安っぽくなりもはや何の意味も持たなくなっている言葉だ。』
本当にその通りだと深く頷かないわけにはいかない。
私が以前、自己流で指摘した〈意味のインフレーション〉によって、価値の減じた貨幣同様まさに『安っぽくなり』、いかに大量にそれを費やそうと、望みの商品も利潤も手にすることが叶わないような言葉。
商業分野でも政治分野でも、このような言葉があふれかえり、人々をうんざりさせ、飽き飽きさせるばかりで、人々をストレス過多に陥らせ、必要以上にイライラさせる、あるいは気分を落ち込ませることに貢献するばかりなのだ。
腐敗した常套句、無内容な決まり文句、その言葉を発した人の人格的欠陥さえ疑わせるお誂え言葉。
同じ言葉でも、何らかの経験や深い教養、もっと言えば〈存在〉をかけたところから発せられているなら、自ずと伝わるものがあるはずだ。
しかし、落第しない答案作りばかり手掛けてきた、我が国の官僚だとか役人と呼ばれる人々の手に掛かると、このようなものがオートマチックに導出されてきてしまうのである。せいぜい救いがあるとすれば、ここには、我が国の霞ヶ関官僚が手掛けるような「罠」はない。しかし、そのぶん「毒」もなく、それゆえ、あまりに退屈で“良心的な”文章として、人をしていらつかせることに貢献している。
スコット氏は、『顧客像(バイヤーペルソナ)を考えているのか?』として、次のように続ける。
『問題の本質は、顧客像(バイヤーペルソナ)を理解していないという事だ。……日本企業は、海外に進出する時に、日本向けのコンテンツをただ単純に翻訳すれば、海外に進出できると思い込んでいる。……そして、今回も同じ問題が起きている。
ターゲット顧客を理解していない事の例を一つあげてみよう。このサイトでは、日本で人気のアニメキャラクター「ドラえもん」が使われている。このサイトを作った人は、世界中の誰もがアニメ好きだと勘違いしているらしい。11才の子供ならともかく、英語圏の大人全員がアニメ好きではない。』
スコット氏の言い分は、まったくその通りで、特に商業レベルで、バイヤーペルソナを理解しろなどということは、まったくの基礎レベルの話ではなかろうか。
しかし、私たち日本人として見過ごせないのは、バイヤーペルソナ云々以前に、こんなところにもまたぞろ「ドラえもん」が顔を出しているという事実であり、なんでも「ドラえもん」君は、「東京オリンピック招致スペシャルアンバサダー」とかいう肩書きまですでに頂戴してしまっているのだという。
…〈のび太〉だ、〈のび太〉の仕業だ、〈のび太〉がこんなところにもいる、日本社会のいたるところに〈のび太〉がはびこり、のさばっている。…これまで〈のび太〉を論じてきた自分としてはそう感想を漏らさざるを得ないし、実際その通りなのだ。「不都合な真実」ならぬ「やりきれない事実」とはまさにこのことだろう。
〈カーゴ・カルト〉とその信奉者たち…。
「オリンピック」という世界の一大イベント、一大カーゴを招致/召喚しようとして、〈のび太族〉が頼ろうとしたもの……それが他ならぬ「ドラえもん」……あまりにもストレートに「ドラえもん」であるという事実。
しかも、日本人にしかその機微が理解不能のカーゴカルト心性を、「良かれ」と思って全開にし、かえって外国人らの無理解をこれでもかという形で“招致”してしまっている阿呆さ加減、しかも、そういうことについて自己分析がなされておらず、ただ無意識に従っている様子……全てにおいて私を鬱に導く要素満載ではないか。

いったいまともな自己分析も出来ない集団が、自己責任も説明責任も果たせるはずがない。
自己責任も説明責任も十分に果たせない人々に、相手の心を打つプレゼンなどできるはずもなく、自らの関与する業務に重大問題、過酷事故が生じても、穴の中に駆け込み隠れる以外の術を持たないし、人々の前に引きずり出されたら「不祥事を起こしたつもりはない」とか「シャラップ!!」と叫ぶ以外の気のきいた手段を有しない。
これが、私たちの“優秀な官僚”たちのしている仕事のレベルなのだ。
と、こういうことを言うと「いやいや、都の木っ端役人と私たちを一緒にしてもらっては困る」との声が、霞ヶ関方面から聞こえ来そうだ。
しかし、彼らの“優秀さ”など相対的なものに過ぎず、「クールジャパン」などという単語を持ち出すまでもなく、彼らにあるのは〈過剰な自己愛と自己防御〉に過ぎず、それは、「良心的な傲慢」としていたるところに撒き散らされていくしかない。
宗像氏は、スコット氏の文章を受けて、『グローバル化の落とし穴』として次のように記している。
『我々がここで学ぶべき重要な学びは、我々日本人がグローバル化していく上で陥りがちな落とし穴だ。グローバル化とは、全世界に同じコンテンツを提供する事ではない。世界のそれぞれの地域やペルソナに合わせてコンテンツをローカライズしていく事だ。今回は、ローカライズという観点、そして、ペルソナに基づくマーケティングという観点が抜けていたために起きた問題だろう。
みなさんはどう思うだろうか?』
せっかく、呼び掛けられているので、自分なりに答えてみたいと思うのだが、この答えは、「方法論」としては誤っておらずとも不十分だと言うべきではないだろうか。
たとえ、商業レベルであっても、最終的に問われざるを得ないのは「生き方」になるしかないはずなのだ。
なるほど、「ローカライズ」が重要だという指摘はその通りだろう。「ローカライズ」が大事、すなわち「普遍性の時代」は終わったということである。
歴史的にも「西欧的/欧米的/西洋的価値」は、必ずしも普遍的なものではなかったのであり、価値の押し付けは、反発もしくは無理解を招くだけだ。
一定の普遍的価値を主張するにしても、十分な理解を得るためには、ペルソナを十分に意識した巧みなローカライズが必要だ……なるほど、だが、いったい誰がそのローカライズとやらを成功に導くのか?
ローカライズの部分を丸投げしてしまったのでは、自分が本当に伝えたかったエッセンスの部分も消えてしまう。発信者がローカライズも担うことによってこそ、核心も保存されることになる。
では、ローカライズに成功するための肝心要の部分とは何か。
他者/他文化に対する「敬意/リスペクト」…存在から湧き出る、あるいは存在をかけた/存在としてのそれ…であるはずだ。
はっきり言わなければならないのだろうが、現在の日本人に最も欠如しつあるのがこの部分だろう。
一方で、ただただムダに過剰に存在するのが、第三者にはほとんど理解不能、意味不明な「過激な自己愛と自己防御の姿勢」なのである。
我が国おいては、エリートと思われている者たちでさえ、この体たらくだ。
そして、「過剰な自己愛と自己防御」、そんなものはどこかに捨て去ってしまえていう小沢一郎のような人物が出現すると、よってたかってはくるったように排除しようとする。
こんな人たちに、グローバルもへったくれもあったものではない。
そして、この我が国のエリートの相似型、世俗タイプが、今や「ネトウヨ」として人口に膾炙するまでにいたった、「過激な自己愛と自己防御」心性に基づいて何かにとりつかれたようにヘイトスピーチを反復し続ける人々なのである。
〈のび太〉……ネガのび太とポジのび太の共闘、共演、「ドラえもん」を前面に打ち出し、「ニッポンサイコー、お前ら分かるよな」とことあるごとに叫んでみせはするのだが、第三者にとっては意味不明、意図不明、理解不能でしかない、恥ずかしいことに。
こんな者たちが、ローカライズなど担えるわけがないではないか。「な」じゃねぇんだ、「な」じゃ(笑)。
日本の「エリート教育」と思われているものは、その教育を受けた者に、「過剰な自己愛と自己防御」を植え付けるものでしかない。
そのような教育を受けてしまった者から失われていくのが、「敬意、他者への敬意」にほかならない。“優秀”であれば、あるほどだ。


「ドラえもん」に願かけて、カーゴカルトメンタリティ全開で、オリンピック召喚」だって?


「東京オリンピック招致サイト」など興味もないから知らずにいたが、もう、どうしようもないとはこのことだろう。
せめて、こういう人々に、本格的な鬱病にさせられないように、せいぜい気を強く持つ以外、当面の対策はない。


あ、そうそう、安倍自民党が勝って良かったね。
頑張って、グローバル化しながら、中国と韓国だけは排除しようぜ(笑)

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