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2013年9月26日 (木)

訃報ふたつまで(藤圭子さん、谷川健一さん)その12

しかし、YouTubeのコンテンツの膨大さには、改めて驚きを禁じ得ない。あらゆる玉石混淆の情報が、ひっそりと検索されるのを待っているのだろうが、これだけ膨大になると、検索エンジン云々よりも、検索する個々の系譜学的認識あるいは意志が先になければ/先行しなければ、堕落ジャーナリズム同様に、自分自身の身体に無数の棘を刺して行くような、全ては後の祭りの無駄に虚しい情報収集をイタズラに行うようになってしまうのだろう。
さて、それはそれとして、前回からの考察を具体的な形で比較検討するために、時代も地域も一気にワープさせてみよう。
時は1980年のニューヨーク。
1980年と言えば、もうかれこれ30年以上も昔のことになる。既にワンジェネレーションが過ぎていることになる。考えてみれば、恐ろしいことだ。
その1980年にそれはリリースされた。
私がそれを聴いたのは、1981年のことだったろうか、まだ、ケツの青い、ただ生意気なだけのティーンに過ぎなかった。
だが、その頃は、愚かにもというべきか、無謀にもというべきか、自分の人生に何かを付け加えられるような気だけはしていた。
なぜって、まだたった19年しか生きていないんだから……今、振り返れば、間違いなくそう思っていた。
自分には何か伝えるものがあるような気がしていたし、自分の伝えようとするものに、他人も耳を傾けるはずだと思い込んでいた。
「まだ形になっていない、まだ作品になっていないだけさ」そう、自分に言い聞かせ続けていた、甘く切ない10代最後の愚かな日々…。
そんな日々を生きながら、私はそれを聴いてしまったのだった。
《Talking Heads》の《Remain in Light》。
「やられた!」
そう思った。
これっぽっちの実力も構想力もないくせに、それを聴いて「やられた!(打ちのめされた)やられちまった!(先を越された)」と、それだけは、強く感じ取ることが出来た。
中原中也ふうに言えば、「やられっちまった悲しみ」に私は打ち震え、「聴けよ、これ、すげえよ」とだけ仲間に伝えるのが精一杯だった。

……と、何だか文体が突然感傷的になってきてしまったので、我にかえろう(笑)。
もう既に30年以上も前の、極私的には思い出すのも辛く感傷に満ちた1980年。
だが、良く考えてみると、例えばの話、1980年と言えば、中山晋平が『東京音頭』を極東の地に流行らせてから半世紀近くも経っているわけだ。
後で触れるが、これはこれで大変なことなのだ。私たちは、いったい、何をやっているのだろう、という意味で。
ああ、人生は短い、そして長い。
ああ、人生は、それを充実させるためには長過ぎる。あぁ、だが人生は、そこに反省を反映させるには短か過ぎる。
(ダメだ、まだ感傷的な気分が続いているようだ、気を取り直して先に進もう)

トーキング・ヘッズのある意味では奇跡的とも言える作品、『リメイン・イン・ライト』は、1980年に米国でリリースされた。
収録曲全てが聞き応えのある力作と言ってかまわないものだが、ここでは、同アルバムの中の象徴的な作品である《Houses in motion》のサウンドに着目して聴いてみよう。
冒頭、船の汽笛のような音がしたかと思う間も無く、変拍子的な意表をつく形で全ては奏でられ始め、リードボーカルが間髪を入れずに歌い出す。もっともそれは、メロディではなく、ラップ…というよりポエトリーリーディングのような形のクールな歌い方である。
ドラムスは控え目で、ロック系の音楽に特徴的なスネアの破裂音はしない。
かわりにエフェクターを効かせたベース音と、テケテケテケと三味線の音にも似たギターによる単音の刻みが基調のリズムを形成する。ンチャカンチャカというギターのカッティング音が2小節ごとに入り、漠然と聴いていたのではフラットに流れがちな曲調に輪郭を与えている。
少し調子外れのコードによるシンセ音のような音が彩りを添える。
合いの手の若干エキサイティングな印象のコーラスが始まると、技術的には相当高いいわゆるファンキーなギターのカッティングがそこに絡み始める。
合いの手に呼応して、クールなメインボーカルも少しトーンを上げるが、シャウトには至らず、メロディを歌うこともない。
歌曲としての区切りで言えば、2番が終わった間奏の部分でいきなり耳許で蚊が飛び回っているような、あるいは何らかの宗教の読経の節回しのような、一種異様とも言える演奏が周囲を制するように吹鳴され始める。
最初にこの音を聴いた時は、かなりの衝撃で、一種のトランス感覚に陥ったのを思い出す。
後学的には、この聴けば聴くほど癖になる音の正体は、ジョン・ハッセルといういわゆる現代音楽家のトランペットによるものだった。
シンセにしては、ヤケに生々しい音だと感じてはいたが、トランペット音と知った時には、それはそれで新たな驚異を覚えたことを思い出す。
全体としては、ボーカルも含め、全ては絡み合う音、一定のパターンを律儀に続けながらも、各パートが糸のように絡み合いながらうねり、あるしゅの音像を作り出そうとする形になっているのであり、いわば手織りの織り機で、縦糸や横糸が重なり合うことによって織物が形成されてゆく瞬間に立ち合っているような感慨を覚えさせられる、そういう作りの楽曲である。
西洋音楽のゴシック派や古典派のオーケストラのように、教会建築を思わせる音の構築物ではなく、ロマン派歌曲のようなヒステリックとも呼びたくなるような情感を高めて行くものでもない。
この曲を初めて聴かれる方でも、気付いた方が多いのではないかと思われるが、もう少し簡潔にこの曲の特徴を指摘するのなら、Wikipediaの次のようなまとめが参考になるだろう。
(『』内、引用)
『一曲の中で使用されるコードがひとつという所謂ワンコードのコード進行によるソングライティングが当時話題となった。おそらくこれはロックにおけるミニマルミュージック的な初期の萌芽であろう。(勿論、このアイデア自体、イーノのものである可能性も高い)』
つまり、ワンコード、ワンパターンというミニマルな要素を反復し循環させ、絡み合わせているのが、この曲の特徴ということになる。
より厳密に言うなら、西洋音楽文法の側からは、そのような解釈となり表現の仕方になるということ。
そして、より普遍的に言うなら、必ずしもコード(和声)を排除するわけではないが、一定のスケールに沿って各々が紡ぎ出す音の絡み合い、そこから生じるいわゆるグルーヴと言われるうねりとノリの感覚、反復と循環から生じる(キリスト教的世界観に異議申し立てをしたニーチェふうに言うなら)永劫回帰のような感覚、そのようなものを通じていっしゅのホログラムのような〈音像〉を立ち上げること。
彼らは、このような曲構造をアフロミュージックの研究によって着想しているのかも知れないが、実は日本の民謡にもこのような曲構造を持つものは多い。
〈世界史〉の中を流れる〈普遍性の通路〉がそのような現象を当然のように引き起こしている、そう認識すべきだろう。
ここで、具体例として、今は福島県の会津地方の民謡、『会津磐梯山』(奇妙な西洋音楽的編曲が施されていないもの)を聴いてみることとしよう。
私が聴いたのは、小杉真貴子のうたう、いわば“昔ながらの”演奏による『会津磐梯山』だ。
どうだろう……。
『Houses in motion』を聴いた後にすぐ『会津磐梯山』を聴くなら、曲構造の同一性、曲調の近似性は、一目瞭然ならぬ一聴瞭然ではないだろうか。
三味線によるテンテケテンテケテンテケテンテンというベースライン/コードの提示とリズムの刻みは、そのままワンパターンで最後まで続いていく。
小杉のうたう見事なメインボーカルと、そこに絡んでくる横笛の音は、言ってみれば、ジョン・ハッセルのトランペットの音が、ボーカルと笛の音に分離して、あたかも二匹の龍が、絡み合いながら天に昇っていくようなものだ。
合いの手の『小原庄助さん〜』から始まる部分はまさに日本語よるラップだろう。
両者をあえて比較するなら、トーキング・ヘッズの方がいかにも現代的なのは、ギターのカッティングを含むリズムセクションが非常にタイトになっている点、メインボーカルをあえてポエトリーリーディングふうにしてクールに決めている点、全編を彩るエレクトロニックな音色などが挙げられようが、音楽的に見れば、全く同一構造であり、狙われている音楽的価値の現前という点もまた共通している。
メインボーカルの技術の卓越性という意味では、小杉の方が圧倒的に上だが、これは比較しても意味のないことだろう。
しかし、小杉ら日本の民謡歌手の実現している発声技術は、どんな時代になろうと世界的水準において、いつでも優れていると私たちは自認し、自分のことのように自慢し、応援し、誇るべきなのだ(横笛演奏にしてもそうだ)。
なぜ、このような音楽的素材を“伝統”とやらの中に押し込め、封じ込め、一部の好事家、愛好家、マニアだけが理解していればそれで良い的な態度を貫いて平気でいられるのか、まったく理解できない。
次に、この『会津磐梯山』を聴いた後で、トーキング・ヘッズのバンド内ユニットとして、これまた一世を風靡した《TOMTOM CLUB》の《Wordy Rappinghood》を聴いてみよう。
これは、『おしゃべり魔女』という邦題もついており、シリアスな曲調は好まないタイプの人も巻き込んで、日本でも大ヒットとなった。(私と同年代なら、今でも覚えている人は多いはずだ。)
一聴していただければ歴然としている通り、これはもはや(全編がラップになっている点を除けば)、そのまま、日本の〈音頭〉だ。いったい、どっちが『会津磐梯山』で、どっちが『おしゃべり魔女』なのか、しばらくすると、こんがらかってくるほどである(おおげさ)。しかも、下手な日本のアイドル歌手の歌う歌よりも、音楽的にみて圧倒的に《Cawaii!》し、踊れる、まちがいなく。
「悔しい!!」と思わないのだろうか、「やられた!!」と思わないのだろうか?
30年も前に「やられて」しまっているのだ。
だが、日本は、100年も200年も前から「やってきていた」のだ、本当は。
この、まさに悔しいアベコベミックスは、私がこれまでゴチャゴチャと説明してきた倒錯的な経緯の中から現前してしまったのだ。
ビートルズの『トゥモロウ・ネバー・ノウズ』などを嚆矢とし、アフロ系アメリカ人のヒップホップ系ミュージシャンはもちろんのこと、トーキング・ヘッズらによって切り開かれたポップミュージックの地平は、今や欧米ではミニマリスムを基調として動いている。
ところが、素晴らしい日本の愛国政治家の皆様方は、「ゴスロリ」とやらを、日本の新しい“伝統”として売り出すことを今や政府として正式決定するにいたったらしい。
さすがは、ネトウヨとやらがこの国に蔓延するのを平気で放置しておく皆様である。真正保守だか愛国右翼だか何だか知らないが、こぞってお目が高くていらっしゃる。
コトここにいたっては、保守だの右翼だの愛国だのと大声で叫んでいる方々につける薬を開発するのは、どうやら我が国の“頭脳”を結集させても、困難極まるようである。
「最初から、二千年前から、やり直せよ」……そう、捨て台詞の一つも吐きたくなる今日このごろ。

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