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2013年9月21日 (土)

訃報ふたつまで(藤圭子さん、谷川健一さん)その9

「ヒステリー」という言葉を、現在の精神医学会は用いなくなっているようだ。
症例の研究が進んだことも一因だろうが、この言葉が人口に膾炙し過ぎてしまい、一人歩きしてしまった結果、揶揄言葉・侮蔑言葉として安直に用いられるようになってしまったのも、医学用語としては不適当とみなされることになった一因なのだろう。
しかし、逆に言えば、かつては専門用語であったような言葉が、あっという間に普及してしまい頻繁に用いられるようになってしまう背景には、ヒステリーと呼びたくなるような感情表現をする人が頻出してしまうという時代背景もあったのは確かではなかろうか。
洋の東西を問わず、かつて宗教(と呼ばれる知恵の一つの形態及び体系)が、政治にも生活にも、そして人間の精神安定にも密接不可分な形で存在していた時代は、芸術表現の多くも、宗教上の教説なり神話なり世界観なりと関連付けられる形でなされた。
宗教性の低いものについては、「作品」とはみなされず、格式のないもの、民衆間のもの、低俗なもの、取るに足らないものとみなされてきた。
そのような常識を意識的/意志的に覆し、宗教的理性、宗教的コスモロジーとは無関係な、もっと直接的に言えば「神」や「超越的存在」とは無縁の場で成立するヒューマニックな感情や衝動や本能に、また、各地方にそれぞれ独特な形で伝えられてきた(いわば土着性の強い)表現形式などにいち早く着目したのは、やはりヒューマニズムという概念を発明したヨーロッパであった。
広義のロマン主義、ロマン派とは、ニーチェふうに言えば、「神の死」を受けて、神の加護に期待できなくなった人間存在の在り方、生き方を模索するような形で発展してきたものとみなせるし、政治的社会的には、ローマ帝国の衰退と、さらには完全な消滅に向けて、ローマ的秩序から離れたヨーロッパの諸集団、諸共同体、また諸個人の在り方、生き方を模索するという背景があったがゆえに生じた表現上の内容であり形式であるとみなせるだろう。
つまり、当時の汎ヨーロッパ的な規模において人々が依拠/依存していた絶対的なもの、揺るぐはずのないものが、衰退しあるいは消え去り行く中で、そのかわりに新しき規範として出現してきた近代社会・近代的個人に関する森羅万象というものが、表現のテーマなりモチーフとなるようになったのだ。
とりわけ、そこからは、近代的個/近代的自我とは何かという問題、近代的理性の問題、またそれとは対照的な人間の本性とは何か、本能とは何か、感情の動きとは何か、あるいは近代的理性と感情の関係はいかにあるべきか、この関係性が崩れた時の病的な精神状態とは何かなど、様々なテーマが派生してくる。
集団/共同体についても、ローマ帝国的秩序が喪失した後の諸集団の在り方として、ナショナリズムの問題も出てくるし、被支配民衆の保持してきた生活様式や特有の表現、地方性/土着性等々の在り方がテーマとして浮上してくる。
ヨーロッパ音楽の分野で言えば、18世紀後半頃から、均整や形式性を重んじ、いわば音によるコスモロジーを表現した古典派から、上記のようなテーマを重んじるロマン派への転回が生じたのであり、オーケストラ作品などは技巧的にも形式的にも複雑化、高度化する一方で、各地域の民謡を採取したり、あるいはナショナリスティックな表現、また、個人の内面的な感情の起伏の音楽的表現など、表現形式は一気に多様化していった。
こうした動向の中で、民衆的な人気をも巻き込む形で隆盛を誇ったのが「歌曲」と呼ばれるジャンルで、18世紀後半に確立し、19世紀には最盛期を迎える。
現代を生きる私たちは、「歌」は感情を表現しやすいのだから、「歌」で「個人」の「感情」を「表現」するのは当然ではないかと思い込んでいるところがあるのだが、「歌」で「個人」の「内面/感情」を「表現」するというのは、ロマン主義的表現形式によって初めて明確に意識されたものであり、比較的新しいことであり、新しい発想なのだ。
「歌曲」とは、つまり、「神の死」によって「近代的自我/内面」の確立を迫られ、「帝国的秩序の喪失」によって、欧州の地方地方が「ナショナリズム」を含む独自性の確立に迫られる中で成立してきた楽曲形式であり、だからこそ、国別/言語別にリート、シャンソン、カンツォーネ、などと原語で呼ばれるべき特徴、特質を備えるものとして、今日まで残って来ていることになる。
北米では、若干のタイムラグを経て、カントリー、ブルースと呼ばれるような“歌曲”が出てきたのも同時代的な動向と言えるだろうし、中南米諸国でも、(歌曲という要素は薄まるが)独特な様式美、リズムパターンを有するルンバ、サンバ、タンゴなどと呼ばれる音楽が発生してきており、ちょうど19世紀半ばから近代化を開始した日本でも、ヨーロッパ直輸入応用編としての“歌曲”“唱歌”や、南北アメリカンミュージックからも影響を受けたより大衆的な“歌謡曲”“流行歌”が隆盛を誇っていくようになる。
最重要ポイントは、しかしこれらほとんどが、欧州発のロマン主義の影響下においてはじめて成り立っているものであるという点だ。
表現におけるロマン主義とは近代化と不可分であり、同時に、近代思想の啓蒙と普及にはロマン主義的表現を必要したということだろう。
それは、「近代」を受け入れることを迫られた民衆にとっては、「近代的個人」として「自由」たらんという積極的/希望的側面と、そんなご立派な「個人」などというものに自分はなれるのか、「個人」というものになって、それでちゃんと生きて行けるのかという「大いなる不安」の時代の幕開けを意味するものだったと言える。
私の見立てでは、だから「ヒステリー」という現象は、その「大いなる不安」心理と密接に関連しているのであり、ロマン主義の影響下にある表現は、(特に個人の内面に深くかかわろうとすればするほど)「大いなる不安」から来るヒステリックな感情表現と強い親和性を有することになる。
音楽において特徴的なのは、そのコード進行/コード構成とそれに沿うメロディの作り方であり、「個人」の「内面」「感情」の動き、起伏を“豊かに”表現しようとする余り、それは必要以上に「ヒステリックな表現」の方向に振れがちであると言ってしまって良いだろう。
我が国の“歌曲”にあっては、「歌謡曲」「流行歌」そして「演歌」果ては最近の「J-POP」とやらにいたるまでその多くが、そういうヒステリック形式を愚直に引き継ぎ過ぎているのは明らかで、つまり、全般的にあまりにロマン主義的であり過ぎ、西洋的であり過ぎるのだ。(しかも、現在の西洋の主流は、フーコーふうに言うなら、「人間の死」を受けて、人間種には今後どのような生が可能かという課題に移っているのである。)
にもかかわらず、「演歌は日本の心」などと言ってはばからない人がいるのはどうしたことか。
どうしてそういう判断になってしまうのだろうか。
「演歌」とは、四七抜き旋律と言われる日本風、東洋風の旋律を採用しているのみで、その本質的形式性=ロマン主義的楽曲構成を糊塗あるいは不問に付しているだけのヒステリックな“歌曲”の一形態に過ぎない。
こうして分析的に見てみるなら、そこには明治政府以来続いているなす術を知らない二重の欺瞞(柄谷行人ふうに言えば、起源の隠蔽と転倒)が作用していることが見えてくるだろう。
この二重の欺瞞によって、今や、「演歌に日本の心を見出だしてしまうような」率直に言えば“うっかり者”たちが、「日本を取り戻せ、日本を愛せ」とか何とか、保守だか右翼だか知らないけれども、訳の分からない“日本”を守ろうとして、他者を、もっと言えば日本それ自体を抑圧しようと必死になっているのである。
この滑稽さとグロテスクさには、たまらないものがあると言うべきで、保守論客だのネット右翼だのと呼ばれている連中の、あの独特の気味の悪さというものは、そのような倒錯に、自分では一切気付いていないところから滲み出てくると言って良いだろう。
それもこれも、自己に対して分析的視点を導入し、徒手空拳ながらも自分の“頭”で、いや“頭”というより“足”で一生懸命考えるという“倫理”が、完全に欠落しているからに他なるまいと思われる。

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