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2013年10月22日 (火)

訃報ふたつまで(番外編) あるいは、そのやるせない訃報に触れて

この一連の章において私は、「怨恨(階級差)による暗殺」についてと「エレクトロニクスによる〈短絡〉」という現象について触れてみた。
今日の社会状況には、この二つの絡み合う事件が生じる可能性があると漠然と考えていたからだろう。
すると、あろうことか、まさにその典型のような事件が起きてしまったのであり、他人事ながら、やるせない、居所のない、また居心地のすこぶる悪い思いを禁じ得ない。
そして、こういうことは、今後とも防ぎ切れるものではないだろうことを思うと、本当にいたたまれない気持ちになってくる。
私に子供はないが、これからの子供たちは、本来ならうまく伸ばしてあげたい“好奇心”や“冒険心”を、おかしなところで抑圧しなければならない世界を否応なしに生きて行かなければならないのである。
なんとも不憫であるとしか表現しようがない。
だが、今後も似たような悲劇は起こり続け、社会の荒廃は進み、自らの安定的な生活を防御したい者たちはますますガードを固くし、安定から遠ざけられた者たちはますます怨恨なり怨念なりの暗い情念を募らせていくようになるのは必定だろう。
三鷹市の未成年女子殺人事件は、まさに「エレクトロニクスによる短絡」が生んだ悲惨であるとともに、そこに新しいタイプの階級問題が孕まれている典型としての事件なのだ。
ここを見なければ話は始まらないはずなのに、私たちの持ってしまったマスメディアは、案の定、事件の本質から目を逸らし、「ストーカー事件をどうやって防ぐか」などというバカ話に終始している。
それは、「テロとの戦い」同様、「ストーカー」が発生する根本原因からは目を逸らし、実行者が意を決してしまったら防ぎ切れるものではないものを防げるかのように議論してみせる大いなる欺瞞に過ぎない。
この事件は、表面的には「痴情のもつれ」を動機とするあくまでも古典的な殺人事件という側面もあり、身体的に性的関係が可能であれば、未成年の身にも起こり得なくはないものではある。
だが、そもそもにおいて、「エレクトロニクスによる短絡」さえなければ、いわゆる山の手のお嬢様と、定職に就くこともままならぬようなフィリピン二世との間で、交際関係が生じるなどということは極少の事例、異例の事態として片付けることも可能だったはずなのだ、世が世なら。
だが、まさに何の“因果”によるものか、恐るべき勢いで増殖し、経済的には推奨されてすらいる「エレクトロニクスによる短絡」が、非対称的な存在を当たり前のように結びつけてしまうのであり、だから今回のような事態はは今後も十分発生し得るものだ。
だが、こういう極端な流動性というものは、まさに地盤の液状化現象と同様で、歓迎すべからず流動性とみなすべきであり、一旦事態が進行してしまえば、双方の生活基盤を根底から崩壊させてしまうことが多いだろう。言うなれば、“発生”の段階で現象的には“詰んで”いるのである。
現実の事件にあまり憶測を交えるのは望ましくないことは確かだろうが、一般的な観点から今回の例に即して言ってみるとするなら、男の側にしてみれば、まさに“僥倖”とも言うべき交際相手なのであり、女性の側にしてみれば、自らの“冒険心”や“好奇心”を満たすのに好都合な交際相手だったのであろうことは、ほぼ間違いない。そういう本来なら極少の事例が「エレクトロニクスよる短絡」でいとも簡単に発生し得るのが、“今”という環境なのであり、少なくとも教育は家庭教育も含めて“今”にまったく追い付いていない。むしろ、教師すら犯罪者の一端に列なるほど振り回されているのが現状だ。
だが時代は移れど、人間は成長するにつれて否応なしに“現実/常識”の側に着地していくという例に倣えば、“常識”の側により近かった女性の側が、交際の中止を求めたのは、まさに常識的な判断の範疇だろう。
だが、“僥倖”に酔っていた側の男が、そのような申し出を素直に受け入れられるはずもない。
こういう場合、どんなソリューションが考えられるか。
古典的な交際であれば、まず、双方の友人らが緩衝材として働いてくれる例が多いはずだ。
同じ連絡を絶つにしても、友人らを媒介として話し合いがなされる場合が多いはずだし、話し合いまで行かずとも、互いを知っている媒介者がいれば、気持ちの持ちようがまるで違ってくる。
だが、「エレクトロニクスによる短絡」によって成立した関係性は、本来は緩やかな共同性の中にある人間関係を、あまりに純粋な対幻想の中に閉じ込めてしまう。
そもそもが若い恋愛というもの自体、対幻想を純化してしまいがちで、それゆえの悲劇も生じやすいのだが、その対幻想が破られようとする時、「エレクトロニクスによる短絡」で生じた関係性には、帰還すべき共同体が、特に振られる側には残されていないことになる。
これはかなり致命的なことだ。
よって、ここから過度な執着が発生するのは、ある意味当然とすら言える。
そこに加えて、今回は、新たな形の階級問題がそこに絡んでいる。
今回の被害者は、確かに危険な“冒険”に深入りし過ぎたと見える部分はあるが、しかし、彼女には「もう冒険は終わりよ」と言えるだけの環境があったのだ。昔で言う「火遊び」というもので、一つの関係性を断ち切っても揺るがないだけの日常性は確保されていたし、それを彼女自身も恐らく自覚していた。
だが、一方には、その関係が終われば、もう夢のような日々は絶対に訪れないことは分かっていた。
彼の属さざるを得ない“階級”には、もはや人生に“僥倖”などそう簡単には訪れはしない。
しかも、社会は、そういう方向に強化されている。
かつてあったような牧歌的な流動性はいまやなく、あるのは、まさに型破りの下剋上か、不安定な労働環境の中であえぎながら生をつなぎ止める自らの姿しかない。
明晰に意識していたかどうかはともかく、彼の中にもそのような認識はあっただろう。
それは、第三者的に言えば、いっしゅの階級問題の露呈/露出なのであり、彼にしてみれば、この交際の途絶は、あるしゅの死刑宣告、それが大げさだとしても、あまりに過酷な突き放しと認識されたとみなすのが自然だ。
そして、そこに、階級的な怨恨の情が発生するのは時間の問題だった。
彼がとった行動は、だから、女性をどこまでも引きずり下ろしてやろうというものだった。ある意味では“良い子”であればあるほどしてしまいがちな心を許した相手にしてしまった行為を無関係な社会に暴露すること。
しかも、それでは足りずに、自分自身の社会的生命が完全に喪われるのも省みずに、相手の生命を奪うこと。
性の問題が絡んでいるとはいえ、ここまで怨恨の情が高まってしまったのは、“階級差”の認識の問題を抜きには語れまい。
だから、このような悲惨な事件は、いつか、起きるべき時を待っていたのだし、そして、現実に起こってしまったのだ。
こういう、現代の抱えた問題が、あからさまと言いたくなるほど露呈しているのにも関わらず、マスメディアは(案の定)、経済に配慮したとんちんかんな議論をし、「問題の本質」にはけっして触れないという教条だけは律儀に守り続けている。
もっとも、マスメディアをくさしたところで、どうにもなるものでもない。
最も大きくそして本質的な問題は、私たちの誰もが、〈現在〉に特徴的な諸問題について、当事者能力に欠けて来つつあるということなのだ。
大は、金融の問題しかり、原子力の問題しかり、小は、男女交際の問題しかり、家族の問題しかり。
人類はいつだって暗中模索でやってきたと言ってしまえばそれまでなのかも知れないが、しかし、〈現代〉にあっては、〈オートマチックに増殖するもの〉について、それに依存し過ぎるあまり、そこから発生する問題や事件に対して対処能力を喪失しつつある。
このまま、〈問題〉だけが極大化して行けば、大きな〈反動〉が到来するのは時間の問題だろう。
吉本隆明が、死の間際に希望的に予測したように、「人類は細く危なっかしい道をとぼとぼと歩んで行く」ような器用な真似は、到底できかねるだろう。
大きな「反動」が「破局」をともなって到来する……悲観的な方に傾きがちな私のような人間は、そのように思ってしまうのである。(もちろん、間違っているのなら、その方がよい)

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コメント

今日、はじめて読みましたが、あなたのような方がいて良かったと感じました。daily cafeteiria これからも時々、拝見させていただきたいと思います。因みに行き着いたのは、数年前の堀田力氏への批判文からでした。

投稿: | 2013年10月23日 (水) 00時51分

コメントありがとうございます。
たまのコメント、素直に嬉しく思います。
堀田氏については、小沢問題に絡んで、言いたい放題をぶちまけた記憶がありますが、具体的に何を書いたかもう記憶にありません。
頭も悪いのですが、その程度に無責任な人間でもあるということです。

ただ、こういう匿名のブログで、誰に媚びを売る必要もありませんから、どこまでも正直にその都度の自分の思いを残すようにはしています。

そういう人間のブログですが、今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: にいのり | 2013年10月23日 (水) 01時12分

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