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2013年11月 2日 (土)

「のび太シンドローム」(番外編)2…驚かざるを得ない山本議員の擁護派の論理

よもや立て続けに「のび太シンドローム」の番外編を書くことになろうとは、まさに思いもよらなかった。
タイトルにも示したが、園遊会における山本議員の行動を擁護しようという人たちが主として採用している論理に、私は驚きを禁じ得ない。

彼らの言い分は、まとめれば、「良心の発露」「正義感に基づく行為」であれば、多少のルール破りも許される、という形に集約される。
ぜひ、気付いていただきたいのだが、こういう論理というものは、最近の例で言えば、検察が小沢を罠にはめる時に用いた論理と全く同じなのである。
小沢擁護派には、どうしても信じがたいことなのかも知れないが、検察は「自分たちこそが良心であり正義であり、小沢は悪(もしくは邪魔者)である」と本気で思い込んでいた(あるいは本気で思い込もうと努めていた)。そして、その論理を未だに手放そうとはしてはいない。
それはそうだろう、それは検察組織の〈信の体系〉の根幹に抵触する部分をはらんでいるのだから。
検察は、なぜ田代検事の行為について、等閑に付すのか。用いている論理は、要するに、今、山本議員の行為を擁護しようとしている者たちの論理と変わるものではない。
「正義を遂行する一連の行為の中に生じた若干の踏み外し」……それが、ごちゃごちゃともっともらしい体裁を取り繕ってはいても検察が拠り所としている論理であり、「正義」「良心」「義侠心」といった立場立場でその中身はいかようにも変化させ得る「大義名分のための大義」の前では些末な事象として片付けられるべきものと認識されているのだ。
だが、「法の支配」が貫徹されるべき「法治国家」にあっては、そのような御都合主義は許されない……それが小沢擁護派の主たる論理ではなかったろうか?

実は、このブログを始めて以降、自分なりに小沢擁護の持論を述べ続けて来たつもりなのだが、最近、直接そういう内容のものを書かなくなったのは、「いかにも政治的な人々(政治を趣味とするような人々)」の御都合主義にうんざりする部分があるからだ。

小沢本人には、何の“問題”もないのに、周囲にいる人達が、小沢を肴にして、自分たちの政治的御都合主義を撒き散らす……そういう「いかにも政治的な人々(政治を趣味とするような人々)」とは、ちょっと一線を画していたい、それが正直なところである。

人間、森羅万象について、論理的整合性が常にとれている者など存在しないだろうことはヤマヤマで、誰だって心情的に応援したい者、後押ししたい者について甘くなるのは、これは避けがたいことだろう。
そんなことは重々承知の上で言っているのだが、たとえいくら応援していようと、「あ、彼は今、失敗したな、踏み外したな、やり過ぎたな」という時に、適正な批評を働かせることが、論理の一貫性を担保することに繋がるのであり、そのような「批評精神」が行き渡らないことには、全てはア・プリオリの党派性に根差した泥試合に収束して行ってしまうのである。
そもそもが、批評と批判と非難の区別もつかないような幼稚な連中が、我が物顔、大物然としてのさばるようなレベルなのだから、いかんともしがたい。批評とは悪口のことだと本気で思っているらしい人が大勢いるようなのであり、この国の教育は、基本的/基礎的なレベルで、教育として機能していないのである。

このようなことを書いていると、苦い思いとともに思い起こされるのが、民主党政権の大失敗についてだ。
当時の民主党支持者なり小沢支持者なりが、鳩山(元首相)に関して余りに甘かった、楽観的だったのは、今更ながら痛恨の極みと言うべきだろう。
彼の軽挙というべき振る舞いは数多くあったにも関わらず、「敵に塩を送る必要はない」程度の党派性によって、鳩山の軽口や軽挙を不問に付していたのは、今になってみれば、そのツケは大き過ぎたと言わなければならないだろう。
それについては、小沢本人もそう思っているかも知れないが、鳩山の失敗の蓄積が、民主党のみならず鳩山自身の政治的立場の喪失を結局は招き寄せてしまったのである。
これは厳然たる事実であり、「適切な批評精神」「プリンシプルを踏み外すことのない適正な批評精神」が機能しなければ、結局は、いわゆる「寝技」に長けた方に流れは移って行ってしまうのだ。

今度も同じことだ。

小沢本人が山本の行為について何と論評するか知らないが、やはり、山本の行為には、「法の支配」の原則を軽くみたい、良心の発露、義侠心の発露なのだからいいじゃないかという〈甘え〉が色濃く漂っているのである。

期待されている者が、応援の声に浮き足立って、“甘えた”言動をとり、結果的に立場を悪くする……これは、一時期、訳の分からない期待の渦中にあった橋下徹にも当てはまることだ。
橋下徹を増長させたのもまた、応援する者たちが、“自分の取り分”を多くすることに汲々として(かどうか知らないが)、「適正な批評精神」を機能させることが出来なかったからである。
そのような〈甘い〉政治的支持・支援が、「僕に投票しておきながら、後で文句を言うのは許さない」といった橋下の〈甘えた〉慢心と増長を育ててしまったのだ。

本当に、右を見ても左を見ても、こんな有り様では、外側から冷徹/冷酷な眼差しをもって観察している者たちに笑われ軽んじられるのも無理はないということになってしまう。
こういう愚かな者たちは、「私たちが善導しなければ」「私たちが叩き潰さなければ」どうにもならないと、これまた、彼らを増長させることにしかつながらないのである。


小沢問題を通じて、我が国の司法のレベルの低さも大分可視化されることになったわけなのだが、この国民ありてこの司法ありと言わなければならない。

「えー!?今のがスイングか?振ってないよ、絶対振ってないだろ、見ろよ、本人には振るつもりがなかったんだよ、顔を見りゃわかるだろ。そもそも、オレサマが応援してるんだから、多目に見ろよ、バカ審判」

こういう野球のファンレベルで、党派闘争を繰り返していたのでは、もっとも肝心な国民的課題、国民的問題が、党派闘争のためのお題と化して、やがてはうやむやの内に葬られるのも当然だと言わなければならない。

御都合主義の槍だかブーメランだか何だか知らないが投げ合っているだけの、今の政治のレベル、社会のレベル、言論のレベル、そういうものにうんざりせざるを得ない。
これは、何も私一人が高見の見物をしゃれこもうと思っているのではなく、多くの方が、うんざり感、絶望感をともなう気分の中で感じ取っているはずのものだ。
政治に絶望して、結局、無党派を名乗らざるを得なくなる者の心情というものを、「政治を趣味にする人々」はよくよく考えてもらいたい。
野球を面白くしたい、野球界を活性化したいのは、何も熱狂的な野球ファンばかりではないのであって、そんな単純なことも分からずに自分たちは特別だとでも思っているとするなら、大間違いだ。
「おいこら、オレたちゃ、伝統ある○○球団の公式応援団だぞ。オレたちに挨拶もなしに、なに勝手な応援してるんだ?」
衛星放送が普通に見られるようになって、日米双方の応援風景の相違に気付いている方も多いと思われるが、言っちゃ悪いが、プレーの一つ一つを重視することよりも、まずは何より縄張り根性を満たす、あるいは現前するプレーを尊重するのでも批評するのでもなく、応援それ自体が自己目的化し、応援団の中で地位を得ることが自慢になってゆく……そんな応援風景を見せられて、うんざりしない方がどうかしていると言わねばならない。

アメリカ人の行き過ぎた個人主義、自助自尊主義にも批判すべき点が多々あるが、しかし、そうとは言っても、我が方の、縄張り主義がそのまま肥大化したかのような前近代的部族闘争然とした党派闘争、牽制合戦に、とことんうんざりしている人の数は、相当数にのぼるのではなかろうか。

見てろよ、肝心要の〈問題〉だけは、〈置き去り〉、もしくは〈先送り〉されて行くのは必定だから。

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コメント

お早うございます。
本論から少し外れるかも知れませんが,宮内庁というどうしようもない官僚組織がありますよね。検察も官僚組織であり,同列に山本議員の擁護派の方たちの「心理的正当性の発露」を批判なさることは,ちょっと違うかなとも思います。法的に何の問題もない山本議員の行為について,世間話のレヴェルで発言する世耕内閣官房副長官やその周辺のほうが,よっぽど危険ではないでしょうか。

投稿: レイナ | 2013年11月 3日 (日) 09時38分

コメントありがとうございます。
おっしゃりたいことは良く分かります。
しかし、こう考えてみたらどうでしょう。
(あり得るはずがないですが)もし仮に、小沢一郎が園遊会に招待されて、今回の山本太郎と同じような行為をしたらどうだったか。
あるいは、民主党政権時代に、自民党系の無所属議員が例えば尖閣問題か何かに絡んで同じような行為をしたらどうだったか。
原発問題が政権与党の政治力で不当に貶められているのは確かだとは思うのですが、法律違反ではないにせよ、国会議員たるもの、国権の最高機関で勝負をつけようとどこまでも努力しようとせずしてどうするのでしょうか。彼は今、市井の住人ではないのです。
市民派の国会議員だからといって甘やかしたらいけないと思うのです。
もちろん、山本の天皇の政治利用は怪しからんなどとのたまって平気な自民党議員らが論外であることは、まさに論を待たない現実だと思います。
ただ、日本昭和史にあって、「2.26事件」の青年将校らを昭和天皇の命により逆賊として処分しながら、ほどなくして日本政府全体が、「昭和維新」的な動向に一気に乗っかって行ってしまうという類いの非合理的事態が生じるようなこの国では、よほど神経質にならなければ、「一心同体化したオールジャパン」とやらがあっという間に現出する可能性がある。
そういうことについて、センシティブになっている人が思いの外少ないというのが、現代日本社会の危機の本質なのだと思いますね。

投稿: にいのり | 2013年11月 3日 (日) 11時24分

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