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2013年12月 5日 (木)

滑稽で不随意的な日本政治(「のび太シンドローム」矛盾編)

高橋源一郎の小説に『優雅で感傷的な日本野球』という、まぁ名作の部類に入るであろう小説があった。
内容はもう忘れてしまったが(笑)、私は、当時、問題意識の共有感とでも呼ぶべきものをその作品から感じとったことは覚えている。
今回のタイトルは、その作品タイトルのパロディであるのだが、先日は、『優雅で感傷的な』和食が、世界の文化遺産だか何だかかに登録されたとのことで、そのこと自体は確かに悪い気はしないのだが、そのようなものを産み出し、そして、そのようなものを愛でて来た日本人と、
現在の政治状況を出来させてしまうような日本人と、
本当に同じ日本人なのかしらんと、どうにも納得しかねる部分が残らざるを得ないのもまた事実だ。
「滑稽」なことに、どう好意的に見ようとも、無知無教養だとしか思えない安倍晋三だの石破茂だのといった人物が、頑張れば頑張るほど、この国は、いすくめられてでもいるかのように「アジア的専制」の方向に吸い寄せられていくようだ。
「ネトウヨ」と呼ばれているような連中には、良くは知らないものの妙な共通了解事項があるようで、
「中国・北朝鮮・韓国」を「特亜三国」などと呼ぶらしい。
そして、「ネトウヨ」と呼ばれている連中が、激しい憎悪心をみなぎらせてみせるのが、この三ヶ国なのだが、確かに単純で幼稚な近親憎悪的な感情面から言えば、所詮似た者同士の隣国をさしたる理由もなく毛嫌いしたくなることがあるのは理解できなくはない。
だが、「ネトウヨ」の不可思議な点は、まるでストーカーのようにその三国に執着し粘着し、大真面目に憎悪心を募らせているらしい点にある。
先日も若干考察してみた通り、凄惨なストーカー事件はやはり後を絶たずに繰り返されているのだが、私が考察した事件のような典型的なものではないにしても、
ストーカーになる側は、振られる/別れるといった事象を内的/精神的に消化することが出来ず、「帰還すべき共同体」がもはや見当たらないといった体の消失感、孤独感/孤絶感に苛まれ、やがてそれは逆恨み的な感情に転嫁され、挙げ句の果てには凶行に及んでいるように見える。
先日の千葉県の繁華街で起きたストーカー殺人事件で、犯人は、恐らく「振られて一人になってしまう」という孤独感に堪えきれず、夜中に路上で大声で泣きわめき保護されるなどといった騒動も起こしていたようだが、ハタから言わせてもらうなら、その生真面目さ、真剣さというものは(分からないではないのだが)、しかし、純化された対幻想にのめり込み過ぎだと言わざるを得ないのだし、対幻想は壊れることはあるという、ほとんど誰しもが現実問題としてくぐる中で獲得する認識を前にして脆弱に過ぎるし幼稚に過ぎるとしか言えない。
もちろん、人間は誰であっても孤独を恐れ、確立したはずのアイデンティティーなるものも本当は常に揺れ動き、何かのきっかけで、ポキッと折れてしまったりポッカリと穴が空いてしまったり、ガタガタッと崩れ落ちてしまうような、所詮は脆弱で繊細なものでしかないのである。
また、そうであるがゆえにこそ、美しかったり悲劇的だったり残酷だったりミステリアスだったりする恋愛物語なども世に次々と送り出されることになるのだが、
そうとはいえ、現実の中で、自らの責任を放棄し、逆恨みに至った自分を倒錯的に慰撫し、常軌を逸した執着心、粘着心を起こして、他者の生命を奪うなどということは、ひどく滑稽でみっともないということに気付くべきなのだ。
内心の憎悪を募らせれば募らせるほど、客観的にはその度合いに応じて、たまらなく滑稽な存在になっていること、そういうことにどこかで気づかなければならない。
「ネトウヨ」などと呼ばれて嘲笑されることの多い人たちは、どうやらその「ネトウヨ」という嘲笑語、揶揄語が大嫌いらしい。
「オレタチは、ネトウヨなどという滑稽な存在なのではなく、これでも大真面目に日本のことを考えている」……当人たちの自己像/自画像は、そのようなものなのだろう。
だが、その当人たちの頭の中にある日本……“幻想としての日本”を客体化しようとする契機もモチーフも持つことがなく、わずかに突き放すことさえ出来ず、人は誰しも「純化された幻想」に「幻滅」することがあるということを一向に理解しようとも認識しようともしない姿勢は、あのストーカーらと同じ心性というほかなく、あまりに「幼稚」で「脆弱」な心構えだと形容するほかないものだ。
「近親憎悪」的な感情であっても、それは誰もが多かれ少なかれ持っているのだとしても、そうした「憎悪感情」をまったくコントロール出来ず、いったん生じてしまった感情が固定化する/不随意化するのは、内的に純化/理想化し過ぎた幻想にアイデンティファイしてしまっているからである。

こうして、「ネトウヨ」は、「特亜三国」を毛嫌いする、毛嫌いするだけでは足りず憎悪する、ヘイトする、そして、「愛国右翼」ということになっている「安倍晋三」を支持する。
実に分かりやすい構図ではあるのだが、しかし、「ネトウヨ」であろうと誰であろうと多少の知性を働かせるなら、その安倍晋三の主観する「せめて“普通の国”でありたい」という願望は、どんどんどんどんその「特亜三国」とやらに近付いて行っていることが理解されざるを得ないはずだろう。
安倍晋三に直接聞けば、「北朝鮮のような国になってはならない」と表向きは言うにちがいない。
だが、その安倍晋三の無意識の政治的欲望は、「北朝鮮」のような国家体制を志向しているのであり、もし、誰も彼を抑制できなければ、彼及び彼を担ぎ上げ続けたい周囲の者たちの建前は、徐々に剥がれ落ちていくしかないだろう。
今や、共産党や新左翼的な勢力ですら、表立っては反天皇制などとは言わなくなったご時世において、かえって安倍晋三率いる自民党が一党独裁志向を募らせるような奇妙な矛盾に満ちた政治状況。
民主党が大失敗し、大失態を見せた後とは言え、日本国民も日本国民で、「もう自民党でいいや」的な感じで簡単に一党独裁的状況を出来させてしまう脇の甘さ、不用心さ。
どれをとってみても全てが「アジア的専制」への無意識裡の欲望の蠢動を示唆して余りあるのであり、
それはとりもなおさず、「ネトウヨ」とやらが最も毛嫌いしているはずの「特亜三国」的政治体制への回帰願望の湧出であり、「特亜三国」の似姿になることへの郷愁であるとみなすほかないものだ。

「議会」などというものは蔑ろにされ、「国民の権利」などというものは、希薄化され、漂白され、「強い政府」が自分たちに敵対しようとせるものに対峙する体制を作りたくてウズウズしている。

安倍晋三が頑張れば頑張るほど、北朝鮮の初代将軍さま=金日成になりたがっているようにみえて来ざるを得ないのである。

想像力の枯渇、アイデアの枯渇、自己解決能力の枯渇……それらが、しきりに「アジア的専制」を呼び込もうとしているのであり、
こんなものは、ファシズムなどという気の利いた“ハイカラな”ものですらない。

「アジア的専制」を現出させる以外、アイデアを持っていないように見える日本のエスタブリッシュメントというどこまでも滑稽で可哀想な連中。
『優雅で感傷的な』和食を作り出して来たはずの日本人は、どんどんとその数を減らし、
『滑稽で野卑な』連中が、「のび太」さながら地団駄を踏み「ドラえもん」に助けを請うては、被害者の振りをしてクラスメイトに嫌がらせをしようとしている。
政治的ノーアイデア(ノーイデア)が、「不随意筋」のように意志とは無関係に動き、固定化/固着化し、奇妙な万能感だけは保持しながら、郷愁の中へとただ退嬰しようとしている。


だが、もう一度、冷静に思い起こしてみよう。
日本には、近代以降、「昭和の大失敗」以前には、「明治の大失敗」しか所持されていないことを。
そして、そのいづれもが、「暴走」によってもたらされたものでしかないのであり、今や「珍走団」とあだ名されるにいたった「暴走族」同様、「暴走」のただ中にあっては一瞬気持ちの良い時はあっても、端から見ればそれはいかにも滑稽な瞬間的陶酔でしかないのであって、そこからは何の「歴史」も産み出されない。

振り返れば顔を覆いたくなるような羞恥行動。


また、やるのかよ。
とことん懲りない、成長しない連中だこと。

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