« 「のび太シンドローム」と「小沢一郎」と「医術の実践」と | トップページ | 滑稽で不随意的な日本政治(「のび太シンドローム」矛盾編) »

2013年12月 2日 (月)

自らのレーゾンデートルを否定してしまった石破自民党幹事長は、今後どうやって議員職を続けていくのだろうか?(「のび太シンドローム」番外編)

「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」……そう、石破自民党幹事長は自分のブログで自らの考えを述べたとのこと。
「単なる絶叫」を「戦術」と思うような奇特な人間はほとんどいないのではないかと思われるのだが、それはそれとして、後に撤回しようとどうしようと、これが自民党幹事長の「本音」なのであろうし、言うなれば「内心の吐露」なのだろう。
どうやら“民主主義”に精通しているらしいこの自民党幹事長は、発言の一部撤回以降も、「一般市民に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものである」とブログに追記したようだ。
「特定秘密保護法反対」と叫ぶことが、「一般市民に畏怖の念を与え」ることになるとは、私にはとても思えないのだが、「大音量」ということに関しては、我が国はもともと相当に騒々しい国なのであって、哲学者の中島義道が(まぁ、この人もウケを狙いすぎてうるさい/ウザい本を書く人だが)、『うるさい日本のわたし』という本を上梓してしまうほど、日本社会とはいちいちうるさい社会であり、物理的な意味でも心理的な意味でも、いたるところに大音響が鳴り響いているのが実状だ。
実際、日本のような母型社会にあっては、過保護とお節介とお説教はセットのようなものなのだが、もちろんだからといってそのような“伝統”を100%捨ててしまえということではない。
ただ、特筆すべきは、民主主義最大のイベントとも目せる選挙期間中ともなると、“民主主義”に精通しているらしい自民党幹事長に言わせれば「市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような」巨大な拡声器をこれみよがしに取り付けた街宣車(いわゆる選挙カー)が、次から次へと閑静であるべきはずの住宅街にまでやってくることだ。
しかも投票日間際にもなろうものなら、大音量のみならず、それは絶叫を伴うものへと変わり、選挙なのだから「政治的主張」を述べるのならまだしも、単に候補者の名前を、あたかも威嚇でもするかのように声帯も張り裂けんばかりに連呼して回るのである。
知らないとは言わせない。
私などは、底辺労働者のため、夜間勤務があり、昼間に睡眠時間を確保せねばならないのだが、それ以外にも病気で寝ている者、幼子や老齢の者が静かに憩うべき市民の住環境に侵入し、大音響で市民の平穏をぶち壊す“選挙カー”なる(自民党幹事長の価値観からすれば)テロリスト紛いの者たちが乗車する傍若無人な集団に、これまで何度、生活の平安を脅かされたことだろう。
“民主主義”通らしい自民党幹事長ともなれば、選挙期間中にそのようなテロリスト紛いの選挙運動を展開した経験は一切ないのだろうし、大音響も絶叫も必要がないのだから、まかり間違って選挙戦を通じて声が嗄れてしまったなどという経験も皆無に違いあるまい。
それとも、“選挙”というのは“特殊”なものであって、「本来あるべき民主主義とは相容れない」要素があってもやむを得ないという思想でもお持ちなのだろうか。
そういえば、現行の国会議員とやらは、最高裁が“違憲状態”とみなす選挙によって、国会を“占拠”している連中らしいではないか。しかも、最高裁の“違憲状態”という表現も、かなり立法府に“配慮”した表現らしく、実際には“無効”判決が出てもおかしくはないという専門家もいるらしいではないか。
そういうことも考慮に入れると、自民党幹事長にあらせられましては、“選挙”とは「本来あるべき民主主義とは相容れない」要素のある、その辺の市民とは違うもともと選ばれた者同士が戦う特殊なものであるという思想でもお持ちか、あるいは、自分が何を言っているのか自分でも良く分かっていないパッパラパーであるか、どちらかである可能性が高いということになってくるだろう。
まさか、天下の自民党幹事長ともあろう者が、後者であろうはずがないので、この石破とかいう人物は、もともと「民主主義」というものについて、他の多くの者と見解を共有できない特殊な思想の持ち主であるという蓋然性が相当高いことになる。
そうなると、そういう“特殊思想”の持ち主の使う“民主主義”なる用語は、一般社会のそれとは意味内容が異なるのだから、まずそこから解題がなされなければならないことになる。
そうしないと、前回あたりで指摘した「一見同じテーマを扱っているように見えて、全く異なる内容について論じているというコミュニケーション障害」を見過ごすことになってしまうのだ。
まぁ、自民党総裁や自民党幹事長あたりにこんな難しいことを進言しても、理解できるはずもないので、この国はやはり当人たちの思惑/主観を越えて、いさかいの絶えないみっともない衰退の道に(あたかも意気揚々としているかのようにして)入り込んで行くしかないのだろう。

…………
いやいや、それにしても、“民主主義”に通じているらしい世界に冠たる自由民主党の幹事長の低レベル振りは、大音響云々以前に、一般市民に日本の将来に対する「畏怖の念」を与えてやまない。
そもそも、絶対に秘匿しておきたかったはずの自ら内心の「秘密」を、迂闊にも自分のブログについつい漏らしてしまい、他人にその不用心さを指摘されると、あっという間に「撤回」するなどということで許されるのなら、「警察」も要らなければ「特定秘密保護法」なるものも要らないという話にしかならないだろうに。
逆に言えば、内心の「秘密」だろうと、国家の「秘密」だろうと、ついつい自分からうっかり漏らしてしまうような、そういう迂闊な人物にとって、最も成立してしまってはマズい法律、それが「特定秘密保護法」なるものに他なるまいに。
こういう自分が何を言っているのか良く分からずに、他人に指摘されて初めて気づくような人物に限って、“うっかり”違反をしては、まさに驚天動地の体で自分が逮捕でもされてみなければ、自分がどんな法律を作ろうとしているのか分からず仕舞いなのだろう。
そういう人物……それが、よりによって巨大自民党の幹事長役を仰せつかっているというのだから、これは多くの市民に「畏怖の念」を催させるのに十分だと言えよう。
先日は、この国の副首相兼財務大臣という首相に次ぐ重責を担う人物が、「ヒトラーじゃないが、国民に知られないよう、いつの間にか決まってしまったというような形で粛々とやれば良い」とかなんとか、重要な“秘密”を暴露して得々としていたようだが、我が国の政治家といえば、こういう迂闊な人物が目白押しなのだから、下手をすれば、政権与党の重鎮から次々と逮捕者が出るはめにもなりかねないのではないか。
そうなれば、いよいよこの国の政治は、口も固いが頭も固い、そういう意味では有能とはあまり言えない連中の独壇場となり、やがては味方を装っていたどこぞの大国が、「日本は変質した、我々は裏切られた」とか何とか突然宣言し、後生大事な条約関係を一方的に破棄されるなんてこともあり得ないとは限らないのである。
そのくらいの想像力が働かないのだろうか。本当に「畏怖の念」を覚えざるを得ない。
まったくもって迂闊で能天気な連中ではなかろうか。
このような人々を、まがりなりにも指導者としていただかなくてはならない市民らが、その状況に対して「畏怖の念」を覚えさせられ、本来あるべき民主主義的手続きにのっとりながら、しかし、思わず絶叫調で声を張り上げてしまうのは、人間として割りと自然な感情の発露ではないかと、私なら思うのだが、”民主主義“についてグローバルな観点から見ても多くの人々が共有したことのない”特殊な見解“を所有する者らには、なぜ人々が叫んでいるのか、結局はちんぷんかんぷんということなのだろう。
同じ言語/用語を用いても、このようなコミュニケーションの障害はいつでも生じ得るのであり、そのコミュニケーション障害の度合いに応じてこの国の危機はいよいよ深まりつつある、というのが“グローバルな観点”から見たオーソドックスな見解というべきではなかろうか。

|

« 「のび太シンドローム」と「小沢一郎」と「医術の実践」と | トップページ | 滑稽で不随意的な日本政治(「のび太シンドローム」矛盾編) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1182932/54126895

この記事へのトラックバック一覧です: 自らのレーゾンデートルを否定してしまった石破自民党幹事長は、今後どうやって議員職を続けていくのだろうか?(「のび太シンドローム」番外編):

« 「のび太シンドローム」と「小沢一郎」と「医術の実践」と | トップページ | 滑稽で不随意的な日本政治(「のび太シンドローム」矛盾編) »