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2013年12月13日 (金)

「滑稽で不随意的な日本政治」(我が文科省官僚の「のび太」度)

オーストラリア議会が、自国の自動車産業の壊滅的惨状を受けて紛糾しているという。
オーストラリアと言えば、同じアジア・オセアニア地域であり、以前はコアラやカンガルーの国という印象だけが強かったものだったが、近年では観光はもとより留学先として、またサッカーの対決を通じて、あるいはオージービーフをはじめとする食料輸入、はたまた捕鯨に関する対立等々、様々な側面で良くも悪くも私たち日本人に馴染み深い国の一つになっているのだが、そういう身近な国のひとつであるオーストラリアにあって、なんと自動車産業が壊滅寸前なのだという。
自動車産業といえば、世界的な寡占化が進んでいるのは事実だろうが、しかし、オーストラリアのような立派な近代国家で、自動車産業が壊滅に追い込まれるなどということは、現地の国民にしてみれば由々しき事態だろうし、日本の輸出品がそこに絡んでいるとなれば、まったく他人事として済ましてしまうわけにもいくまい。
なぜ、オーストラリアほどの立派な近代国家でそのような事態に立ちいたってしまったのだろうか?
私は、貿易情報にも疎ければ、オーストラリアの国内情報にも疎いので、そこにいたるまでの諸事情についても、当てずっぽうで想像してみるしかないのだが、
我が国の誇る文科省の官僚にかかれば、「英語をしゃべろうとせず、政府がグローバル人材をきちんと育てて来なかったからだ」ということになるのではないだろうか?
ん?いや、だが、ちょっと待ってほしい。(笑)
たしか、オーストラリアというのは英連邦を形成する国の一つではなかったろうか?
国民の多くが子供のころから英語をしゃべり、公用語も英語のはずではなかったろうか。
たしかに、オーストラリアは、他の新大陸同様、移民の国であり、廃れつつあるとはいえ先住民は固有の言語を持っているのだし、移民の系統によっては日常語として英語をしゃべらない人々もいるらしい。
だが、建国以来、公用語は英語であり、“グローバル人材”を育成するにあたって、これほど好環境の地もめったにないことも確かなのではないだろうか。
にも関わらず、(様々な要因が絡み合ってはいるのだろうが)、近代産業としては基幹産業たる自動車産業が壊滅寸前という由々しき事態にたちいたってしまったのだという。
日本の誇る文科省の役人の言に従うのなら、子供の頃から英語が話せる国民のいる国でそんなことはあり得ないはずではなかったろうか。
いったい全体、何が起こっているのだろう?
まさか、オーストラリアには“グローバル人材”がいないとでも言うのか、英語が小さい時からしゃべれるのに!
………
あまりしつこいと、オーストラリアの方々に失礼にあたるので、この辺にしておかなければいけないが、
少なくとも、我が国の誇る文科省官僚の妄想とはうらはらに、産業の発展と「英語をしゃべれるか否か」ということとの間には、それほど強い因果関係はなさそうである。(ビッグデータの時代だというのに、何ゆえこんな単純な統計的事実すら無視するのだろう?)
なぜ、こんなことを言い始めたのかと言えば、我が国の誇る文科省が、“グローバル人材”の育成のために、小学校からの英語教育の“充実”を図るとか何とかいう新方針を大々的に打ち出したとの報道に接したからだ。
なぜ、我が国の誇る文科省官僚らは、「英語をしゃべれなければ、“グローバル人材”にはなれない」という類の妄想としか思えないものを自国民に強要しようと、どこまでも必死になるのだろうか。
私が分からないのはそこだ。
もちろん、私は英語教育などやめてしまえなどという極論を述べるつもりは毛頭ない。「英語教育などやめてしまえ」という極論は、「英語をしゃべれなければ、“グローバル人材”にはなれない」という極論と同レベルの愚劣な考えだろうと思っている。
そもそも「英語」など、基礎知識があれば、とりあえず十分だろう。普段使っていなければ容易に使いこなすことができないのは当然で、しかし、使わなければどうしようもない環境に投げ込まれれば、いやでも使えるようになる。
たとえ、なかなか使えるようにならなくても、それ以外の専門性を体得しておけば、野球の川崎選手ではないが、「アイムジャパニーズ」でけっこういけてしまう場合が多いはずだ。
問題の本質は、だから、別のところにあるということにならざるを得ない。
我が国の誇る文科省官僚がしゃかりきになって、自国民に英語を強制し強要したがるのは、何か別の動機があるからにちがいあるまい、合理的にはそうとしか考えられまい。
その動機をこそ、私は「問題」にしたいのだが、もしかするとこの「問題」は、もうすぐ「特定秘密」に分類され指定される類のものではないのだろうか?
どうも、そんな予感がしてならないのだが、「特定秘密」になるか否かとに関わらず、我が国の誇る文科省官僚らは、自分たちが国民から不審の目で見られていることに、もっと敏感かつ自覚的であっても良いはずだろう。
なぜ、彼らは、自分たちの「内緒の都合」を、国民に対しろくに説明もすることもなく、実証的なデータを示すでもなく、がむしゃらに押し付けてくるのだろう?
なぜ、彼らは、原発事故の後、国民より先に緊急放射能拡散予測情報を米国に渡したのか?
私は、文科省から国民に納得される説明があったという話を寡聞にして知らない。
そういう典型例を出すまでもなく、いったい、我が国の誇る文科省の官僚らは、どのような人物で何を考えているのだろうか?
我が国の教育の基礎政策について任せるに足る能力がいったい彼らにはあるのだろうか?
誰が、権限を与えているのか?
わけの分からない人々に、この国の教育行政をこのまま司らせていて良いのだろうか?
彼らのすることなすこと、観察するともなしに眺めていると、そういう疑念が次から次へと沸いて来ざるを得ないのである。
いったい、彼らにはこういう疑念に答えられるだけの能力なり権限なりはあるのだろうか?
(また、だからこそ、この手の“問題”は、「特定秘密」に指定されることになるのではないかと言うのである)


もしかすると、この国は、このまま“フィリピン化”していくのではないのだろうか?
どなたか、ご存知の方はいらっしゃいませんか?


……と、こういう言い方は、やがて秘密漏洩の教唆に該当することになるのだろうか?


そういえば、「特定秘密保護法」の「秘密の意図」を漏洩しまくっているように見える自民党幹事長は、まだ施行前だから、思う存分バラしまくって悦に入っているのだろうか?

世の中、私のような魯鈍の者には、謎が多すぎて困りものである。(笑)

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