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2014年1月13日 (月)

「オールド左右」に足を引っ張られてはならない。(私の東京都知事選の見方)

「オールド左右」というのは、私の勝手な造語ですが…

面白いと思うのは、今度の東京都知事選では
「オールド左右」が
これまで以上に早々と、そして堂々と立候補して、表面的には多少一般受けしそうなことをつぶやいていることです。

私は都民ではないので、
そんな選挙戦を少し離れた位置から見守るしかないのですが、

国政選挙ではないがゆえに、逆に「オールド左右」の本音が垣間見えるのが、実に興味深いところではあります。

彼ら「オールド左右」の本音はどこにあるのでしょうか?
彼らは、自らの政策を本気で実行に移す気などないでしょう。(もし、本気で勝つ気があるのなら、もっともっと本気になって駆けずり回っているはずでしょう)
ですから、彼らが本気で勝つ気もない選挙にわざわざ出馬するのは、

「我々の居場所を確保させてくれ」

ということを、獲得する票によってアピールすること以外にないでしょう。

すなわち、
「都民、ひいては国民全般のため」に
選挙に出るのではなく、
「あらかじめ決まりきっている仲間内や身内のため」に
選挙に出るのです。

「現状を変えたくて」
選挙に出るのではなく
「現状を維持するために」
選挙に出ている。
(まぁ、いつものことです)

したがって、
この「オールド左右」の人々ほど、悪い意味での“保守”を体現している人々はいないと言って良いのではないですか。

このような「保守的な左」「保守的な右」双方に足を引っ張られ続けている限り、
日本社会が本格的に未来対応する態勢を整えることは不可能です。

「オールド左右」の“良心”ごかした政治スローガンなど、もう、うんざりなのです。

私たちが、今もっとも、イヤだな、恐ろしいな、もう勘弁してくれないかなと思っているのは、

「正統性」を著しく欠いた各種「政治的圧力集団」が、影に隠れたまま、法や制度や行政(執行)に対して、陰に陽に強い力を及ぼしている状態

についてではないでしょうか。

2012ミス・インターナショナルの吉松氏をめぐる闘いは、
やはりその意味で、今や象徴的な闘争になっているのであり、
孤軍奮闘する〈個人〉を前にして、
見て見ぬ振りをする既成勢力が、
やれ「国家の誇り」(右側の常套句)だの「弱者救済」(左側の常套句)だの言ったところで、
そんなものは「自分たちの居場所」を確保するためだけの営業文句でしかないことがバレバレなのです。

「正統性」を著しく欠いた“裏権力”のようなものに、「正統性」を有する側が、引っ掻き回されたり、正当な権限を行使したりできないような状況については、
今や相当多くの日本人が、本気でいらだっている状況が出現してきていると、私は思っています。

この国が正常な近代国家とは言えないことは、既に多くの日本人が自覚していることでしょう。

これだけ覚醒した人が増加してくれば、
「吉松育美」をめぐる問題は、〈蟻の一穴〉になる可能性は十分にあります。

「オールド左右」に足を引っ張られることなく、
日本社会が、個人個人を真に尊重する(相手の権利をちゃんと認め合う)社会に生まれかわることが出来るか否か、

今度の都知事選も、そのことを占う上での試金石の一つとみなせるでしょう。

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