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2014年2月 3日 (月)

東京でオリンピックは開催できるのですか?

福島原発の事故を受けて、
専門家と称する者たちが、雀さながら口々に口にしたことは、

「想定外」

という言葉でした。

皆さん、覚えていますよね?

「原発の破局的事故は起こらない、原子炉内部の核燃料はメルトダウンしない」

という〈想定〉だったはずなのに、

〈現実〉には事故が起きてしまった……だから、それは〈想定外の事象〉なのだと言うわけでしょう。

こういう言い方というものは、
「今までの我々の想定は、誤っているわけではなかったのだが、しかし、それを上回る非常に稀有な偶然が重なってしまったために、それは起きてしまったのであり、つまり、我々の取り得る責任の範囲外の出来事」という意を含んだ言い方でしょう。
そして、実際、誰も責任を取ってはいないわけです。

しかし、現に事故は起きてしまっているのだから、
それを聞く大部分の者にとってそのような言い方は、「言い訳に過ぎない」、「言い訳にもならない言い訳」にしか聞こえないのであり、それぞれの立場上の違いはあれど、そう思いながら聞いているわけです。

そもそも人間のする「想定」なるものに「限界」のあることを、私たちは経験的に知り尽くしているはずです。
「想定通りに行かないのが現実というもの」……それが、私たちの経験知が教えてくれる真理(の一つ)なのだと言えるでしょう。


さて、現在、都知事選が行われており、
各候補者ともに「東京でオリンピックが開催されること」を「想定内」のこととみなしています。
確かに、IOCとやらが、「2020年のオリンピックは東京で」という決定を下したのですから、何らかの「事故」でも生じない限り、東京でオリンピックは開催されるのですし、行政の責任者がそれに備えるのは当然のことです。

しかしながら、生じるかも知れない「不測の事態」について「想定」しておくのも責任者の役割なのであり、
「事故など起きるはずがない」という「願望」に基づく準備のみを「想定内」の計画とみなし、それ以外を平気で排除するような者は、責任者としては欠格者なのであり、
したがって選挙にあって「選別する側(有権者)」は、「選別される側(候補者)」が、そのような認識を備えているかどうかを見極めることも重要な要素になってくるでしょう。

思い起こしてみてください。
かつて、モスクワオリンピックというものがありました。
なぜ、当時、モスクワに決まったのか、今すぐに説明できる人は日本に何人いることでしょう。
けれども、当時のIOCは、「モスクワでやりましょう」との決定を間違いなく下したのでした。
そのモスクワオリンピックは(一定以上の年齢層の人であれば、ほとんど知っているはずですが)、冷戦の深刻化により、いわゆる西側諸国がボイコットすることになり、
当初「想定」された形とはかけ離れた形で開催するしかなかったのです。
そしてその後、何年か後には「ソ連」と呼ばれていた国は、崩壊/分裂し、内戦に近いような事態を経た後、何とか現在のような形で落ち着いたのでした。

当時のソ連の「モスクワオリンピック誘致担当者」らは、その決定時には快哉を叫んだことと思います。

しかし、それは結局、ソ連邦の崩壊へといたる呼び水、呼び鈴のような役目を果たしただけに終わったのです。

私たち日本人が、舞い上がったまま、今そこにある〈リスク〉に目を瞑り、当然考慮して然るべきものについて「想定」の外部に排除し続けるのなら、
本当のことを言えば、東京オリンピックについても、今後何が起きても不思議ではないのではないですか?
少なくとも今の「東京」は、そのような環境の内にあることを隠蔽すべきではないでしょう。

なるほど、東京オリンピックが「安全」に開催されるべき種々の対策が完璧になされさえすれば、「不測の事態」が生じる確率も下がるはずですが、
今日の「安全」にとって、「情報」の比率は非常に高いものになっています。
にもかかわらず、それが「想定外」になっている蓋然性が非常に高いのが問題です。
各候補者、特に政権与党に支援されている候補者の演説を聞いてみましょう。
彼らが、「安全、安全」と叫んでいるその「安全」とやらの中身は、土木建築上の「安全」、せいぜい治安上の「安全」でしかないのだろうというのが丸分かりです。

しかし、既に、実際には日本国の〈情報上の安全〉は、かなり毀損されて来ているのではないですか?
なぜ彼らはそのことに触れないのでしょう。
(言うまでもなく、触れようにも触れるだけの能力が欠如しているからに他なりません)
能天気な人々は、「世界一」という言葉が大好きなようですが、
情勢次第では、
橋下大阪市長がするかも知れない「たった一人の大阪市長選」ではありませんが、
日本人だけでやる日本人しかいない「東京オリンピック」が開催されることになるかも知れませんね。
そういうことも「想定」しておくべきなのです。

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