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2014年3月

2014年3月22日 (土)

小保方氏に関する騒動について

・日本のプレス(笑)は、官庁発表情報の横流し、つまり、“コピペ”でしょ?違うんですか?
・「記者クラブ」では、“コピペ”が正確かどうか、擦り合わせまでしているっていうじゃないですか?やっぱり“コピペ”職人、“コピペ”の達人じゃないと、記者としてはやっていけないんですか?
・そもそも、NHK会長本人が、政府の方針を“コピペ”すると言って何ら悪びれる様子もないのだから、“コピペ”で大騒ぎをしている報道関係者というのは、何様のつもりなのでしょう?(笑)NHK会長様に逆らうつもりなのでしょうか?
・そんなに偉いなら、“コピペ”で商売するのは、一切禁止にしましょうよ。
・え?ナニナニ?我々は、報道という下賤にして下劣な業務に携わっているだけだが、あらゆる点において“オリジナリティ”が要求される学術論文が“コピペ”だらけなのは、さすがに容認できないですって?
・成る程、自らの業務の卑劣さ、卑屈さをわきまえていらっしゃる点においては同意して納得します(笑)。
・あ、それはそうと、生命、生物というのもDNAの“コピペ”によって、地球上にあまねく存在していますよね?
・人間は、高級動物でいらっしゃるのだから、そろそろDNAの“コピペ”などという下品な方法から脱却しても良かないですか?
・オリジナリティ溢れる高級な皆様は、まさかDNAの“コピペ”なんて、なさっていないんでしょう?
分かります(笑)。

・まぁ、小保方氏が、未熟だったと言えば、そうなのでしょうけれども。

・何をもってオリジナルとみなすのか、というのも、大きな思想的課題になり得る問いですよね?

・「知」とは「引用の織物」ではなかったのですか?どなたでしたっけ?木の中には仏のおわしますゆえ、私はそれを掘り出すだけだ、といったような名言を吐かれた方は。

・「知的所有権」「知的財産権」の議論は、TPP交渉などでも、かなり紛糾する分野でしょうが、「知識情報」の囲い込み、経済利用というのは、不遜な印象を与える部分がありますよね。
・まぁ、中国みたいに偽作、贋作天国になってしまうのも、どうなのでしょうかと言わざる得ませんが。
・経済思想は、混迷を深めるだけですね。今、優位にある者たちが、優位性に永続性をあたら加味したがるゆえに、議論はおかしな方向にねじ曲がっていくしかないのでしょうね。

・ハウスミュージック…。
“コピペ”天国のはずの日本では、なぜ、ハウスの方法論は、人口に膾炙しなかったのでしょうね?

・クリティークもオマージュも不足し欠乏している社会では、他者を誹謗中傷することによって悦に入る“文化”が隆盛を極めるのでしょうか?貧乏臭いですね。

・ろくでもない奴らが、ろくでもないがゆえに、排外主義に“希望”を見出だしている姿は、醜いですよね。そう、思いませんか?

・ガラパゴスという比喩が、いつからか出回ってしまいましたが、ガラパゴスに失礼なので、もうやめにしませんか?我々って、もっと醜いですよね?(笑)

・関係性の織物
・関係の結節点
・交通
・交換
・贈与

・私たちは、このまま、どんどん醜くなっていくのでしょうか?
・原発を何基も爆発させても、平気な振りをしているような国ですから、それも当然なんでしょうかね。

・発想と実験(試行錯誤)と偶然と

・みんながみんな、「私をほめて」「私に注目して」「私を認めて」と、喚いているように見えますよ。

・アンディ、ウォーホール。あなたは、たしかにクールでしたよね。

・自称、クールジャパンが、ウェット&メッシーなのは、内緒だよ(笑)。

・日本文化のオリジナリティ?日本文化のユニークさ?オリジナリティなんかにこだわるより、ユニークさをあたためた方が、おもしろいかも。

・千利休。あなたは、たしかにクールでしたよね。

・粗暴とか粗雑とか粗忽とかって、日本人が一番嫌いがちだったと思うのですが。でも、あなたは安倍政権を支持しているんでしょ?(笑)

・集団ヒステリーの輪の中には、絶対に入りたくないね。だって、ボクはクールだから。

・日本社会って、けっこう、鬱陶しくなっていませんか?押し付けがましいし。

・こういうのは勘弁です。

・少子化は、とどまることを知らないでしょうね。

・私たちの自業自得です。

・かつて、日本文化というものがありましたとさ。

・さようなら

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2014年3月15日 (土)

「小保方論文」をめぐる騒動について

・生物学者でもない一部の“識者”が、何の因果か知らないが、STAP細胞の小保方潰しに動いている。
・とりわけ、一部の人文系の人間が、あたかも自らもその研究チームの一員として参加でもしていたかのような勢いで、小保方を非難しているのは笑止千万。
・思想問題としてみるなら、小保方の発案は、「生命の自己生成性」から「生命の可変性」「システムの可変性」をめぐるダイナミズム、環境適応の問題を提起しているとみなせる。
・すなわち、<DNA>とは、原因なのか、それとも結果なのかという問い。ここには、因果関係をめぐる、あるいは存在論をめぐる、物理的還元主義をめぐる、すぐれて思想的な問題が内在している。
・人文系の人間が、“知的に”この問題に関与しようと思うなら、このような小保方のモチーフを把握した上で、それを自らの思想に引き付けて考察する以外あるまい。
・論文の書き方の作法がどうしたの、とりわけ「引用」を明示すべき点を明示しなかった程度で大騒ぎするようなザマは常軌を逸している。
・生命研究の専門家らは、改めて論文を精査した上で、「明白にゴマカシの意図があるのかないのか」、「最終的にどう考えても物理的にあり得ない結論を導き出しているのか」を判断し、その判断については説明責任を負うべき。
・仮に、小保方論文が、再現不可能性を有するような明らかな科学的誤りを有していたのだとしても、だが、その発想自体は死んでいないことを私たちは理解すべき。
・小保方の発想は、生命の自己生成性の根源を問うもの。生命が、単細胞生物から多細胞生物へと至る過程の中にあって、どこにも“神”が実在する余地はないはず。“神”は不在にも関わらず、“見えざる手”がそこにあるように見えるのはなぜか。
・各細胞が、まるで一つ一つが知を有しているかのように分化し、一個のシステムとして作動するようになる過程は、未だに謎に満ちているというべきではないのか。
・ゆえに、DNAとは結果なのか原因なのかと言うのであり、私など、DNA結果説を取りたい。
・結果であるものを人為的に操作して、原因としてみても、確かにそれは、システムの過誤や欠損に関わる病気の治療等には役立っても、システム生成の謎、ダイナミズムに迫ることは出来まい。
・私の狭い情報閲覧の中ではあるが、気合いの入った小保方擁護を行っている著名と言い得る識者は、武田邦彦と山崎行太郎のみ。
・とりわけ山崎行太郎の言い分にはほぼ同意出来る。
・この国の反知性主義はただならぬ領域に入って来ており、とりわけ東“オタク”浩紀あたりの言い分には唖然とさせられる。
・TV芸者系の“識者”というものの信用のならなさには驚くべきものがある。
・プライオリティ0あるいはマイナスに固定しておいて、何の問題もなかろう。

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2014年3月12日 (水)

原発事故を受けて政府・国会・民間でご丁寧にも設けた「原発事故調査委員会」とは、誰のため、何のためにあったのか。

東日本大震災から3年目、「日本記者クラブ」では、まがりなりにも政府・国会・民間の「原発事故調」の委員長を務めた3名の人物に、米国の原子力規制委員会の委員長を務めたグレゴリー・ヤツコ氏を加えた討論会が開催されたとのこと。
福島原発事故発生以来、3年を経て、事故の内情を誰よりも詳しく知っているはずの専門家らが、現状を踏まえてどのような考えを抱いているのかという点において、日本で数多開催される諸会議の中でも、超の字がつくほどの最重要会議であったことは間違いない。
なぜ、我が国の政府が率先してこのような機会を設けず、悪評ふんぷんたる「記者クラブ」が主催したのか、詳細は不明だが、現行の日本政府の無責任振りを象徴する出来事であることを、まずは指摘しておきたい。
また、政府からは建前上独立していることになっている「原子力規制委員会」なるものは、こういう重要会議における意見なり提言を参考にするつもりがあるのかないのか、あるとすれば具体的にどのように、ないとすればそれはなぜか、会議を主催した「日本記者クラブ」は、そこまで責任をもって調査、報道すべきである。
「原発事故調査委員会」なるものが、単なる国民向けのガス抜き組織だったなら、一時的にはどんな立派な事でも言えるのであり、一方で法的権限はなくとも、少なくともなぁなぁで行われている首相の私的諮問会議の類いよりは、真っ当で切迫した議論が行われていたはずであり、調査報告書提出から現在にいたる現状を踏まえてなされた元委員長らの発言は、社会的・政治的に無視されて良いはずがない。
(もちろん、わざわざこんなことを言うのは、我が無責任政府及び無能規制委員会は、見事に無視してみせるだろうことを見越しているがゆえになのだが。)

ともかくも、まずは、討論会における各元委員長の重要発言を抜粋したものが配信されているので、引用させていただく。

(引用開始・敬称略)
畑村洋太郎(元政府事故調委員長)
「世界で一番厳しい基準になったから安全だというのは間違い」
「どんなに考えても気づかない領域があることを知ることだ」

黒川清(元国会事故調委員長)
「すべて他人事となっていた。誰も責任を取らない」
「あれだけの事故が起きても日本の社会が変わる気配がない」

北沢宏一(元民間事故調委員長)
「稼働中の原発がゼロなのは国民の総意としか言いようがない」
「原子力ムラが再び復活するのか注目される」

グレゴリー・ヤツコ(元米原子力規制委員会委員長)
「原子力は100%安全はあり得ない」
「社会としてメリットをどう考えるか。リスクがあっても受け入れられるかがポイント」
(引用終了)

それぞれが現状について、かなり悲観的であり、また、名指しこそしていないが、日本政府及び原子力規制委員会に対して相当な批判的言辞を口にしていると言って良いだろう。
まず、畑村は、「世界一厳しい基準になったから安全だというのは間違い」と、安倍政権の再稼働方針及び原子力規制委員会の立場を真っ向から否定していると言って良い。
この人は、まがりなりにも日本政府の原発事故調査委員会の委員長を務めた人物である。
その元委員長が、「安全」に関する「思想」が誤っていると断言している。これに対して現行政府はどう考えるのか、説明責任・説明義務があるはずだ。
ヤツコの発言も同趣旨のものと言えるだろう。要するに「安全ではないもの」に「安全」というお墨付きを与えるのは欺瞞だと言っていることになる。「リスクを背負うつもりがあるのかないのか、それだけが問題だ」ということだろう。
黒川は、責任を未だに誰も取っていないことを、まずは問題視している。これも、あらゆる常識から見て当然の意見ではなかろうか。
いったい東電の元会長だの元社長だのは、今どこに姿をくらましているのだろう。少なくとも現役であることの重責から解放された立場で今何を思うのか、肉声を取ってくるのはジャーナリズムの最低限の役目ではなかろうか。
「日本社会が変わる気配がない」というのも誠に率直な意見であり、相変わらず「リスク」の存在を無視する形で「安全」を語る政府や規制委員会が厳然と存在するがゆえに、事故前と事故後に日本社会の原発に対するスタンスが変わらない、変え得ないのはある意味当然であり、これは日本の官僚文化が前例踏襲主義と無謬主義を未だに改めるつもりがない事を物語っている。
北沢の発言は、日本国民の大多数が「原発のリスクというものをけっして容認してはいないだろう」という主観的推測を述べていることになるが、政府・官僚が、「世界一厳しい安全審査をクリアしさえすれば、原発は安全に稼働させることが可能だ」という小学生でも苦笑するような幼稚なロジックを、暴力的な無謬主義で糊塗することによって手離そうとしていない限り、「原子力ムラ」など「復活する」も何も解体された事実はないと言っても良いだろう。

日本社会に蔓延して、とどまることのないように見える「無責任社会」は、いかに重要な議論なり提言がなされても、また、どんなに重要で重大な事象が生起しても、「無視する、なかったことにする」ことによって維持されていることが良く分かる。
「不都合な真実」も「不都合な事実」も、暴力的に「ないもの」としてしまえば、なるほど「無謬主義」なる主義という語尾をつけるのもおこがましいような幼児性の思い込み、幼稚な万能感も、なるほど維持されるにはちがいない。
だが、このような“主義”によって、こともあろうに我が国が、北朝鮮と同等の「笑うためのネタ国家」に今やなっていることに気付いていないのは、官僚や安倍政権の閣僚ら、少数の“特殊な無能”に限られてきている。
彼らは、哀れなことに国民に情報のベールをかけているつもりらしいのだが、聡明な国民にとっては、そんなものは「ないことになっている」というか「相手にしていない」。
それが分からないのが、アナクロ中央集権国家を未だに維持しているつもりになっている、最後は暴力に頼るしかない惨めで無能な連中なのである。

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アーミテージの言うことならお行儀良く聴くらしい安倍“粗暴”政権

通信社系が、年明け以降、しきりにアーミテージにお伺いを立てては、日本国内にその言葉を配信している。
2/28、共同通信が配信したものの要点を私なりにまとめれば次のようになる。
1.安倍の靖国神社参拝は、中国が外交的に利用できるとの観点から反対する。
2.従軍慰安婦問題は、現代の日本の人権保障や日本国民に対する高い国際評価を傷つけている。

自らを有能に見せたくて、自らが焚き付けている国内の跳ねっ返りたちを満足させるためにとっている安倍晋三の言動を、アーミテージは、愚かだと断言しているとみて良いだろう。
アーミテージのみならず、事情を知れば、世界中の大部分の人間が、この人物はいったい何がしたいのかと怪訝に思うのは間違いない。
そういう怪訝の念に対して、いかなる回答を用意するのか。
問題の根っ子にあるのは、「なぜ、アーミテージ程度の人物に、このような正論を吐かれなければならないのか」という問いである。
安倍やその周辺のブレーン気取り、また、それに乗っかって偉ぶりたい跳ねっ返りどもが、この問いから逃げている限り、どんなに「固有性」を主張しようが、ロシアやイランと接近する振りをしてみせようが、「問い」は解消されない。
くだらない者の中には、「米国が民主党政権だから日米関係が悪化するのであり、共和党政権なら違っていた」旨を大っぴらに口走ってイキがる痴れ者すら出現したらしい。
戦後の自称“保守”“右翼”など、所詮はこの程度ということだ。すなわち、アーミテージ程度の人物にたしなめられても、何ら直接的な反論も抗議も出来ない…それが、日本の“保守”だの“右翼”だのを気取っている者の正体なのである。
私は、新春の日本のメディア内に流通する外国人識者の発言を取り上げて行くつもりで、このアーミテージら、いわゆる“ジャパンハンドラーズ”の発言にも言及するつもりでいたが、チョムスキーらの沖縄に関する声明を知るに及んで、くだらない者たちの発言にあえて触れるまでもなくなったと思いなし、捨て置いてしまったが、素人なりに情報を採っていると、結局はこのハンドラーズらの網の中で蠢いている日本政府の姿というものが見えてきて、やはり、一言もの申さずにはいられなくなった。
2/28のアーミテージの発言は、1/5に概略以下のように時事通信が報じたものよりさらに踏み込んだ内容になっている。
1.東アジア域内の緊張について、悲観はしていないが、これまで以上に心配している。
2.日中の争いについて解決は難しい。日本は不測の事態を防ぐ危機管理をしなければならず、弱さを見せてはならない。
3.憲法改正は勧めないが、憲法解釈変更については支持する。
4.TPPが成功裏に妥結すれば、アジア太平洋地域の情勢が一変する。
5.日韓首脳会談を実現させるためには、日本の政治家は朴大統領を当惑させてはならない。

日本国内でイキがりたいがゆえに、“主人”の“助言”には“恭順の意”を示すことを怠らない人々は、1/5の“御託宣”を受けて一生懸命努力したのだろう。
その結果が、2/28の発言だ。
「お前たちのやり方ではダメだ」
“主人”はお冠であり、ダメ出しをしている、しかも分かりやすい「正論」によって。
再掲してみよう。
1.安倍の靖国神社参拝は、中国が外交的に利用できるとの観点から反対する。
2.慰安婦問題は、現代の日本の人権保障や日本国民に対する高い国際評価を傷つけている。

このアーミテージ発言の行間から垣間見える本音は次のようなものだろう。
「我々(ジャパンハンドラーズ)が、ABEに靖国参拝を唆したわけでもなければ、慰安婦問題を自分からほじくりかえせと命令したわけでもない。私は、中国政府に弱さを見せるな、韓国大統領を当惑させるなと言っただけだ。それが、こういう結果になるのは、私の責によるものではなく、日本政府の愚劣な判断によるものだ」
もちろん、これは、私個人の憶測に類するものでしかない。
しかし、通信社を媒介に表に出てきている情報だけでも、ジャパンハンドラーズでさえ呆れ返る日本政治の劣化・粗暴化・粗雑化というものが見えて来ざるを得ない。
安倍の周辺に群がる粗暴な連中は、情報戦にあっていたたまれないほどの敗走を重ねており、しかも、厄介なことに、彼らには負けているという自覚症状すらほとんどないように見える。
アーミテージ程度に詰め寄られて、返答に窮すると、「いや、私たちのせいではなく、朝日新聞がいけないんです、NHKは丸め込んだんですが」だって。
いくら朝日新聞がろくでもないのだとしても、ガキの言い訳など、全世界の大半が聞く耳など持つまい。そういうことが、こういう連中には分からないらしい。
挙げ句の果てには、国会内で内閣法制局長官と共産党議員が口論とか……。
「殿中でござる」じゃないんだからさ、ネトウヨとやらの常套句を援用すれば(笑)、「早く日本から出て行ってくれよ、迷惑だから」

さて、ここにきて、威勢良く「河野談話」の見直しにも踏み込む勢いだった安倍政権が、いや、見直しではなく事実の検証であり、「河野談話」を継承するのは日本政府の揺らぐことのない既定路線だみたいなことを言い始めたようだ。
どうやら「明日、ママがいない」状態にはなりたくなかったようだ。
ここまで幼児性に満ちた、プリンシプルどころか、何の戦略性も戦術性もない行き当たりばったりの対応を見せられたなら……(以下、略)

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