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2014年3月15日 (土)

「小保方論文」をめぐる騒動について

・生物学者でもない一部の“識者”が、何の因果か知らないが、STAP細胞の小保方潰しに動いている。
・とりわけ、一部の人文系の人間が、あたかも自らもその研究チームの一員として参加でもしていたかのような勢いで、小保方を非難しているのは笑止千万。
・思想問題としてみるなら、小保方の発案は、「生命の自己生成性」から「生命の可変性」「システムの可変性」をめぐるダイナミズム、環境適応の問題を提起しているとみなせる。
・すなわち、<DNA>とは、原因なのか、それとも結果なのかという問い。ここには、因果関係をめぐる、あるいは存在論をめぐる、物理的還元主義をめぐる、すぐれて思想的な問題が内在している。
・人文系の人間が、“知的に”この問題に関与しようと思うなら、このような小保方のモチーフを把握した上で、それを自らの思想に引き付けて考察する以外あるまい。
・論文の書き方の作法がどうしたの、とりわけ「引用」を明示すべき点を明示しなかった程度で大騒ぎするようなザマは常軌を逸している。
・生命研究の専門家らは、改めて論文を精査した上で、「明白にゴマカシの意図があるのかないのか」、「最終的にどう考えても物理的にあり得ない結論を導き出しているのか」を判断し、その判断については説明責任を負うべき。
・仮に、小保方論文が、再現不可能性を有するような明らかな科学的誤りを有していたのだとしても、だが、その発想自体は死んでいないことを私たちは理解すべき。
・小保方の発想は、生命の自己生成性の根源を問うもの。生命が、単細胞生物から多細胞生物へと至る過程の中にあって、どこにも“神”が実在する余地はないはず。“神”は不在にも関わらず、“見えざる手”がそこにあるように見えるのはなぜか。
・各細胞が、まるで一つ一つが知を有しているかのように分化し、一個のシステムとして作動するようになる過程は、未だに謎に満ちているというべきではないのか。
・ゆえに、DNAとは結果なのか原因なのかと言うのであり、私など、DNA結果説を取りたい。
・結果であるものを人為的に操作して、原因としてみても、確かにそれは、システムの過誤や欠損に関わる病気の治療等には役立っても、システム生成の謎、ダイナミズムに迫ることは出来まい。
・私の狭い情報閲覧の中ではあるが、気合いの入った小保方擁護を行っている著名と言い得る識者は、武田邦彦と山崎行太郎のみ。
・とりわけ山崎行太郎の言い分にはほぼ同意出来る。
・この国の反知性主義はただならぬ領域に入って来ており、とりわけ東“オタク”浩紀あたりの言い分には唖然とさせられる。
・TV芸者系の“識者”というものの信用のならなさには驚くべきものがある。
・プライオリティ0あるいはマイナスに固定しておいて、何の問題もなかろう。

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