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2014年4月10日 (木)

「調査捕鯨」裁判で示された我が国の(形式上の)エリートによる「のび太シンドローム」の症例

私が「のび太シンドローム」と呼んでいるのは、医学的に見れば「自己愛性パーソナリティ障害」の類型に入るものだろうが、個々人として観察すれば「障害」とまでは言えないものの、そういう心性に傾いた個々人が同調的共振作用を起こし、それが社会や共同体に集合(無意識)的な作用を及ぼせば、深刻な悪影響をもたらすような、いわば集団的な症候を指すものである。

外務省(という、これまで日本の国益に一度も寄与した実績がないのではないかと疑われる省)の関係者によれば、
国際司法裁判所における日本の調査捕鯨に関する裁判には、「負ける要素のない万全の態勢で」臨んだらしい。
報道によれば、彼らが「負ける要素がない」と判断した理由は以下のようなものだ。
①交渉の前線に立ったのは、TPPの主席交渉官も務めるエースの鶴岡公二内閣審議官(外務省出身)であること。
②法律顧問の弁護士に英国やフランスの世界的権威を雇ったこと。
③代表団には、同じ捕鯨国であるノルウェーの科学者も加わったこと。
これら、人的側面に加え、基本的な法解釈として
④そもそも国際捕鯨取締条約の第8条で「調査捕鯨」は認められている。
⑤捕獲後の鯨肉の処分方法については規定がない。(つまり、調査後の鯨肉を食用に用いたとしても規定には触れない。)

以上のような根拠から、「負ける要素がない」、仮に注文が付けられたとしても捕獲量の問題ぐらいだろうとして、自信をもって臨んでいたらしい。

恐ろしいのは、この“自信”である。
日本の(形式上の)エリート層は、上に挙げたような“権威”や“形式(論理)”、また、甚だ心許ない“お仲間意識”等を“根拠”として、それに“自信”を抱くことが出来たらしいのである。
私たちが(形式上の)エリートとし送り出している人々の、本質的に見れば「自己愛」でしかない「自信」のもたらすものが、日本社会に凶器として跳ね返って来る事……恐ろしいのはこの事であり、同構造の事例は、日清・日露の勝利以降、この国の(形式上の)エリートの陥った陥穽から、絶え間なく、あたかも間欠泉のように噴き出して来るものである。
彼ら(形式上の)エリートは、日本国内に向けては、「日本の鯨食文化」を守護する尖兵のように振る舞って見せ、そのように認識しろと、国内に流通する情報を差配する。
権威主義とそれによって来たる従順さだけが取り柄の内地の日本人は、自分はもう何十年も鯨肉など口にしたことがなくても、「日本の食文化」をエリート様方が守って下さるのだと信じ込み、今回のようにエリート様方が敗北したともなると、(圧倒的実力を保持しているのが明らかだったスキージャンプの女子選手が敗北したかのように)、「まさかの敗北」「日本文化への無理解」さらには「日本文化に対する偏見」などとうち騒いでみせるのだ。
だが、残念なことに、私たちが私たちの利益のために選出しているはずの(形式上の)エリート様方は、スキージャンプの女子選手のように圧倒的実力の保持者でも何でもなければ、肝心な情報についてはいつでも自国民には伏せた上で「ええかっこしい」だけは巧みにしてみせる人種だということだ。
今回の事例で言えば、今日の「鯨食」をめぐる実態とは、実際には聞き捨てならない段階にまで腐敗しているのである。
『オッカムの剃刀 続』というブログがこれについては端的に纏められているので引用させていただく。

(引用開始)
水産庁の外郭団体である日本鯨類研究所は、調査捕鯨と称して毎年6億円ほどの税金を費やし、セミクジラに偏って1,000頭も捕獲、鯨肉をさばいて50億円ほど売り上げて国庫にも戻さない、という事業を行っていた。どうみても調査捕鯨ではなくて官製捕鯨ビジネスである。敗訴も当然だし、震災復興資金を調査捕鯨に横流ししていた件も含め、日本国内で訴訟されてもおかしくなかった。
(引用終了)

鯨肉を学校給食に提供しているなどといった日本の食文化を守るという類いの情緒的な“美談”で、簡単にたぶらかされてしまう私たちは、震災復興予算まで流用していた調査捕鯨の実態についてどれだけの情報を有していたことだろうか。
引用させていただいたブログ主の関心も、マスコミ報道の異常さの一例として述べられているものだが、私たちが置かれている情報環境とは一事が万事こういう有り様なのであり、ネットはネットで、「マスコミは反日だ」などという見当違いも甚だしいネトウヨとかいう連中が、ますますマスコミを萎縮させる方向で大活躍されているという“勇ましい”状況なのだ。
「のび太シンドローム」とは、このように、健全な批判・批評をも「自虐」だの「反日」だのと形容し連呼することによって亢進していくのであり、「根拠なき自己愛」が熱狂的に受け入れられて行く素地を徒らに形成していく。
自らに関する「不都合な事実」からも「不都合な真実」からも逃げ回り、「自己愛」に偏した情報だけを受け入れるような脆弱で虚弱な心性の者が増殖することは、(形式上の)エリート諸氏にとっては願ってもないことだろう。
「自己愛」を否定、いや否定せずとも健全な形で批評/反省/内省した上で、やみくもな「自己愛」を昇華するという、いわば、“大人”になりたくない者たちは、その「幼稚な自己愛」を維持するためには、国内の権威を相対化しようとする契機を失い、ひたすら権威に対して従順にならざるを得ない。
(形式上の)エリート諸氏は、あたかもオリンピック選手であるかのように彼らに対して振る舞って見せれば、彼らの熱狂的なサポートが期待できるという寸法だ。
さすがに本物のエリートは、このような手段に手を染めはしない。まさに沽券に関わるから。
だが、欺瞞の鎧に身を固めた似非エリート(形式上のみのエリート)らは、恥も外聞もなくこのような手法を採用する。
ナショナリズムを焚き付けておいて、自分は彼らの担ぐ御輿に何食わぬ顔をしていつの間にか乗っかっている……最も容易で安直な方法にほかなるまい。
見境もなく、このようなことが出来る恥ずかしい人々……思わず顔を背けたくなるそんな恥ずかしい人々が、日本の支配的表層で目立ち始めているのは、端的にこの国の(エリート層をも包括した上での)民度の指標とみなすべきと言うしかない。

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