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2014年5月 7日 (水)

「自尊心」を「他者」によって毀損された時ほど、自らを客観的に見つめ直す良い機会だとおもうしかない。

昨年末、私は、東アジア全体が追い詰められつつあるのに、東アジア諸国の為政者は、全くその自覚が足りない旨の文章をエントリーした。
案の定…というべきか、EU官僚が、日本を対象として、経済協定にあたっては「人権条項」を設けるよう要求しているとのニュースが流れた。
安倍が欧州外遊中で、フランスで満面の笑みを振り撒いているその最中にあって。
時事通信の配信記事によれば次のようだ。(ブリュッセル時事)


(引用開始)
欧州連合(EU)と日本が、貿易自由化に向けた経済連携協定(EPA)と同時並行で締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)に、日本で人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合、EPAを停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張していることが、5日分かった。
(中略)
経済的利益と引き換えに民主化を迫るのは、開発途上国や新興国に対するEUの基本戦略。人権条項は第三国との協定で「不可欠の要素」とされ、対日SPAも、こうしたEU外交の延長線上にある。
ただ、EUは米国との自由貿易協定(FTA)交渉では、SPAのような政治協定の締結を求めていない。
(後略)
(引用終了)

日本の政府当局は、このようなEUの姿勢に憤慨し、反論を試みているとのことだが、「捕鯨裁判」同様、一切まともに相手にされないか、あるいは、今後の交渉において、「人権条項」を削除するための大幅な譲歩が必要とされるという結果をみるしかないだろう。
これみよがしに憤慨してみせれば憤慨してみせるほど足元を見透かされ、日本の官僚話法による下らぬ反論などしようものならたちまち嘲笑われ、「そんなに一等国扱いしてほしくば、我々の要求を呑め」と迫られることになる。
司法と行政(検察)、また当然のこと一部の政治勢力が結託して小沢一郎を排除してみせた結果、国内はいざ知らず、国際的には完全に足元を見透かされてしまったのが我が国が置かれている現状であるとみなせる。
だが、いったい、そのことに気付いている支配層は、我が国にどの程度存在しているのだろうか?
「あなたがたの司法制度は中世並みだ」と、アフリカの小国代表に指摘され、「シャラップ!!」と餓鬼のように叫ぶしか術のなかった外務高官や、足元を見透かされていることに気付きもせず、「捕鯨裁判」では少なくとも負けることはないと思い込んでいたTPP主席交渉官でもある、これまた外務高官ら氷山の一角。
「私が最高責任者」とふんぞり返るのは結構だが、「最高責任者」とは如何あるべきかを知らない宰相。
先進的民主主義国の公共放送だというなら、たとえ痩せ我慢をしてでも投げ捨ててはならない建前を、就任の記者会見で見事に放り投げてみせる放送協会会長。
国際的な報道の自由度ランキングが下がれば下がるほど、なぜかますます政府との癒着を強め、幹部が首相と頻繁に会食を繰り返すマスメディア連合。
「○○を殺せ!」などと、街頭で平然と叫ぶデモが頻繁に繰り返されても、社会問題化することもなければ、議会が重大な議案として取り上げることもない社会。
日本初のミス・インターナショナルを“売春婦”のように扱おうとし、反発されると、組織を背景にして、実質的に国内では仕事ができないようにする強欲だけは一人前の無能にして遅れた凶悪な業界の存在。
同じく組織に傷がつきそうになると、無限の可能性を持つ若い研究者を生け贄の子羊、人権侵害専任のゴロツキどもの餌食として、自分たちだけは逃げきりを図ろうとする科学業界。
いちいち数え上げて行けば切りはないのだが、一つ一つのエピソードが全て、足元を見透かされるのに十分過ぎるほどのインパクトを持っているのではないか。そういうものが、あたかも加速度がついているかのように矢継ぎ早に積み重なっていくのであれば、「外部」の人間が、日本社会全体をどのように評価するか(また、どう評価を変えていくか)、分からないはずはなかろう。
分からないはずはないにも関わらず、そうと指摘されて、「憤慨」してみせ、根拠薄弱な「反論」をしてみせるのなら、地球上のどんな場所であっても、まともに相手にされなくなるのは理の当然ではないだろうか。

もちろん、EUが完全無欠な社会であるはずもないことは言うまでもない。
ウクライナ問題一つとっても、キエフ暫定政府に対する欧米の姿勢にかなり無理があることは、世界中が知っている。
しかし、「人権」をタテにして、交渉事でイニシアチブを相手側に握られてしまうほどの惨状というものを直視しないことには、「あなたがたEUだって…、あなたがた米国だって…」などと“反論”したところで、自己認識力ナシ、自律性ナシ、改善能力ナシの餓鬼の戯言として無視されるばかりだろう。
本年2月27日、米国務省から発表された「人権報告書」では、日本について、ヘイトスピーチ(憎悪表現)によるデモに関して懸念を表明している。日本に住むマイノリティについては、在日韓国・朝鮮人に限らず、中国人やブラジル人、フィリピン人らも社会的差別を受けていると指摘している。
3月6日には、国連の拷問禁止委員会委員で、日本の司法制度を「中世並み」と厳しく批判したモーリシャスのドマ元判事が東京で記者会見、「日本の刑事司法は容疑者の自白に頼り過ぎ」とし、死刑制度についても、執行が直前まで本人に告知されないことを問題視し、拷問に等しいと述べている。
こういうエピソードから見えてくることは何か?
今や、日本の人権状況に厳しい批判の目を注いでいるのは、日本に対して敵対的な姿勢をとりがちな国ばかりではないということ。
しかも、より重要なのは、世界は我々が思うよりもはるかに日本のことをよく観察している、しかも正確に、ということだ。
「STAP細胞」騒動によって、科学コミュニティのあり方に論議が及ぶ場面もあったが、今や科学界のみならず、あらゆる領域で、有識者のコミュニティは存在していよう。
科学コミュニティ同様、そうしたものは、なくもがなの弊害を生むことも当然あるが、重要情報の迅速な共有という面で、コミュニティの形成は避けられまい。
そのようなコミュニティの外交部門、政治部門において、今や日本がどう語られ、どのように見られるようになっているか。
「人権」というキーワード一つを中心に見ても、確かに一人の日本人としては直視するのもはばかれるような状態になっているのではないのか。
私のような最低賃金スレスレの年収であえいでいるような地べたを這いずり回る庶民にしてみれば、そのようなコミュニティがあると思うだけで、無条件かつ無根拠に反発したくなるような心情もあるのだが、さすがにまがりなりにも支配層の側が「シャラップ!!」では、これはもうお話にならないということなのだ。
安倍の「靖国参拝」が、世界中からなぜあるほど反発を受けたのかと言えば、このようなものの集約的行為、象徴的行為とみなされたからに他なるまい。
「歴史解釈の修正」だの「憲法解釈の修正」だの、大言壮語するのは結構だが、本当にそれを成し遂げるためには、相当の力量とその蓄積と説得力や交渉力が必要になるはずなのだが、とても一定のレベルに達しているとは思えない者たちが寄ってたかって詭弁を弄したところで、まともに相手にしてくれるのは所詮、国内の利権や思惑絡みの者だけだ。
これらの者を、世界はゴロツキと見るだけだろうが、当然、ゴロツキでも利用できる時は利用してくる。
ゴロツキを甘やかして割りを食うのは、当該国内の国民に過ぎないのだから。

やがて、日本全体がゴロツキばかりの住むゴロツキ国家とみなされないためには、何らかの「能力」を発揮せざるを得ないだろう。
それが、どんな「能力」なのか、この国の支配層の中にわきまえている人材がどれほどいることだろうか。

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