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2014年8月20日 (水)

週刊新潮8/28号『「STAP細胞」とは何だったのか?』

『週刊新潮』など、そもそも私のようなあまり程度の良くない人間が読む週刊誌なのだから、書かれていることなど、たかだか知れていることは読む前から分かってはいるのだが、そういうたかだか知れている“場所”において、自称「日本の科学者」がどんな問題意識を持って臨んでいるのかについて、少しばかり興味を持った。
標題記事の副題には次のようにある。
『威信と信用が音を立てて崩れ去った「日本の科学者」本音座談会』
この座談会をやった科学関係者は50音順に以下の通り。
池田清彦(早稲田大国際教養学部教授)
榎木英介(近畿大医学部講師)
竹内薫(科学作家)
丸山篤史(医学博士)
緑慎也(サイエンスジャーナリスト)
皆さん、匆々たる学歴と肩書きをもってお出ましだ(笑)。
一読しての感想は、「あまり程度の良くない私たちの前に登場する状況」に対する驚くべき<危機感の欠如>である。
あまり、程度がよろしくなさそうな「週刊新潮」の編集部も書いているではないか。『威信と信用が音を立てて崩れ去った』状態だと。
少なくとも“遺された”科学関係者は、この状況に対して危機意識を持たなければ嘘だろう。
ところが、「余り程度の良くない読み物」にいかにも相応しく、座談会全般が結局のところ小保方や笹井を貶める方向に終始している。
どうも、この人たちは、立派な経歴や肩書きを持っていても、頭はあまりよろしくなさそうだ。
自らが多少なりとも関係している「目前の事象」というものに対する認識力や解析力に少々難があるのではないか、そう強く思わせる。これは科学者(科学関係者)としては、致命的な欠陥ではないかと思うのだが、ご本人らはどうやら意に介していないようだ。
小保方や笹井を貶めておけば、相対的に自分たちは上昇する、あるいは免責されるとでも思っているのだろうか。(もちろん免責といったって、この人たちに直接の責任はない。だが、マスメディアで発言するということは、それなりの責任がその時点で発生するのである。だが、この人たちにそういう上質な知性というものを求めるのは、どうやら無理筋のようだ)
この人たちは私たちのような「あまり程度の良くない人々」を馬鹿にしていて、こんな会談でもしておけば満足なんでしょうという態度なのかも知れないが、しかし、「程度の良くない者」は程度が良くないなりに「上昇」とも「責任」とも無関係な存在ゆえ、逆にそれほど甘くはない。
単に「科学者」だというだけで、私たちにとって、この人たちは一蓮托生の存在にしか見えないのである。
とりわけ、ここに登場している人物の発言を読めば、間違いなく小保方以下、笹井以下の人材であることは余りにも明らかなので、この者たちが小保方や笹井を如何に貶めてみせたところで、「失われた威信」も「失われた信用」も恢復されることはあり得ない。むしろ、やはり、その辺に転がっている“科学者”などというものは所詮この程度のものなのかという心証を強化する役割しか果たしていない。
それなら今、真っ当な科学者関係者が顔を合わせて話し合うべきことがあるとすれば、それは何なのだろう。
池田清彦という人についてはその著書をまんざら知らないわけでもなかったがゆえに、その俗物的発言には呆気に取られざるを得なかったが、この人たちがわざわざ顔を付き合わせて今話し合うことがあるとすれば、それは、「小保方論文」の撤回という事態を受けて「失われた信用」を恢復するために自分たちは何が出来るのか、というのが一つ。
さらに、「小保方論文の撤回」という事態を受けて、では「STAP」もしくはそれに類する仮説の展望や可能性は0になったのかという科学論議が一つ。
自らが関連の研究者として、この分野の研究の主要テーマ、モチーフ、あるいは難題として、一般人も掌握しておいて良いものとしてはどのようなものがあるか、という啓発的論議が一つ。
ジャーナリストや作家を自称するなら、科学研究全般において、社会制度と研究行為との間にどんな問題が横たわっているのか、これからまたどんな問題が生じる可能性があるのか、というのが一つ。
ざっと考えただけでも「小保方論文」を撤回を受けた先には、少なく見積もってさえ、これだけのテーマがある。
にも関わらず、この人たちの会話というのは、「小保方論文のミスや不手際を指摘できる僕って偉い」とか「小保方さんは特殊な人材だったが僕らは違う、皆さん、絶対に違うんだよ、信じてくれよ」という程度の会話に終始しているだけだ。
こんな程度の会話なら、「TCR再現がどうした」などということを殊更に指摘しなくとも、私たち「程度の余り良くない人間」でも十分できるものに過ぎない。
いったい、この人たちにとって「知性」だとか「知的営為」とはどのようなものだと認識されているのだろう。
「科学」とは「可能性の追求」であり「未知の真理の発見」「未知との遭遇に関する報告」ではなかったのか。
この人たちの会話を読んでいると、そもそも「仮説」というものの存在をすら承認していないのではないかとさえ思われてくる。
「仮説」とは、それが実証されるまでは、明け透けに言えばいつも常にでたらめであり、あてずっぽうだろう。理論物理学等の分野で、理論的にはほぼ確からしいと思われている学説にしても、多くの研究者らが、それを実証すべく観察や実験を日々繰り返しているではないか。
当然知らぬわけではあるまい。
にもかかわらず、この人たちは、どういう根拠からか知らないが「我々は小保方とは違う、我々と小保方を一緒にしないでくれ」ということを強調したいあまり、科学における「仮説」というものの存在すら葬り去ろうとしているかにすら見える。実際、その程度のことしか言っていない。
明らかに「科学者存在」として小保方以下の連中であることが、会話の質からして歴然としている。
営業妨害になるといけないので、引用は最小限にとどめておくが、科学論議の発端になりそうながらもあっという間に立ち消えになった残念な箇所があり、(座談者の名誉のためにも)そこだけ引用しておこう。

(以下、引用。……は省略箇所)
緑「ちょうど読んでいた池田先生の『生きているとはどういうことか』という本にも、ショウジョウバエの胚にエーテルを吹きかけると、本来は2枚しかない羽が4枚になるという例が出ていました。外部刺激で細胞の万能性が復活することは、自然界ではあり得るという話です。……」
池田「最近はエピジェネティクスといって、遺伝子自体ではなく、それに外部刺激を与えるとアクティビティがどう変わるかが大事になっています。そうした実験を重ねていけばSTAP細胞のような発見があってもおかしくないと。……」
(引用、終了)

笹井氏は、「STAP現象に関する有力な反証仮説はまだ目にしていない」という趣旨のことを言っていたようだ。意訳するなら「他人の粗捜しばかりゴニョゴニョしていないで、反証論文を出せるものなら出してみろ」ということだったのだろう。
小保方論文が、かなり杜撰なものだったのは確かなのだろうし、小保方氏が何か強い思い込みの中に入っていた可能性も否定しきれない面は確かにあるのだろう。
ただ、同じ科学者の会話として、この人たちの会話からは、フェアではない精神性しか流れて来ないのであり、「知的」に相当低いレベルのものであることは間違いない。
「程度の悪い者」の読む雑誌にわざわざ登場して、その程度の悪い者と同じレベルの会話をゴニョゴニョゴニョゴニョしている様を自らの同意のもとに発表してしまって、この人たちは恥ずかしくないのだろうか。
こういう厚顔無恥もひっくるめて『威信と信用が音を立てて崩れ去っ』ている状況に気付いていないらしいその姿は、あまりにおぞましい。

個別の項目という意味では、それなりに“高度”なことに取り組んでいたとしても「知的質」「知的レベル」という観点からはお話にならない者たちが、このまま跋扈しているようなら、日本の科学的環境が危機に瀕しているどころか危機を通り越した状態であるということが確かにリアリティを帯びてくる。
今回の小保方問題によって、逆説的にこれまで不可視の領域に隠されがちだった科学界の知的レベルというものが可視化されてきてしまった。
原子物理学分野や放射線医学分野の学者らが、わざわざTVに出て、なぜあれだけの出鱈目を口にして平然としているのか、科学者というものにそこはかとない憧憬を抱いていた私のような「余り程度の良くない人間」にとっては不思議でならなかったのだが、この度の騒動が、逆説的に幻想の解体に貢献してくれることになった。

科学者、研究者、またそれを取り巻く報道者・解説者たちの「床屋政談」ならぬ「床屋科学談」など唾棄すべきものでしかないのであり、本当に恥を知れと言いたい。

“この程度“の連中が、何の可能性をも追求せず、“この程度”のお茶をわかしている……
この程度の連中こそ、門前払いが妥当なのではないのか。

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