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2014年8月14日 (木)

ブライアン・イーノ→デヴィッド・バーン←ピーター・シュワルツ

ブライアン・イーノの手紙に呼応する形で、ピーター・シュワルツという人が、バーン宛てに公開書簡を送っているとのこと。
ピーター・シュワルツという人は、書簡の自己紹介によれば次のようだ。
『知っての通り私は移民で、親はホロコーストを生き延びている。文化的にはユダヤ人だが、宗教的にも精神的にも中立で、無神論者だ。そしてユダヤの国イスラエルを作ったことは歴史的失敗だと考えていて、そのせいであの地域は破壊されそうだと思っている』
こうしてみると、米国の知識階層に多いタイプのユダヤ系米国人ということなのだろう。
書簡全体に渡る豊富な知識と真摯な姿勢には傾聴に値する部分も多い。
だが、(と、あえて)言わなければならないと思うのは、例えば次のような記述についてだ。

(以下、引用。)

私自身はイスラエルの姿勢を支持しないが、イスラエルを批判する声に対しては、最近または現在も他の多くの国で非道な行為が行われているのに、そっちは批判しないのかと思う。ちょっと例をあげるだけでも、カンボジア、チベット、スーダン、ソマリア、ニカラグア、メキシコ、アルゼンチン、リベリア、中央アフリカ共和国、ウガンダ、北朝鮮、ボスニア、コソボ、ベネズエラ、シリア、エジプト、リビア、ジンバブエ、そして今は特にナイジェリアなどがある。「アラブの春」は多くのアラブ人にとって暗い冬となり、イラクとシリアの国境沿いでは大規模な殺戮が起きている。そして我らがアメリカやイギリス、オランダ、ロシアやフランスも、この非道な行為に参加している。それによる死者数や社会の破壊と比べると、イスラエルの行為すべてが小さく見える。イスラエルが違うのは、彼らが倫理的に分があるとしてきたことだが、それもレバノンの難民キャンプに置き去られた。彼らは今ただ他の国と同じように、憎しみの海で生き残ろうとしているだけなのだ。

(引用、終了)

この部分は、ピーター・シュワルツが、豊富な知識を駆使して歴史的経緯や何やらを説明しているほんの一部に過ぎないし、彼はけっして現在のイスラエルを支持しないことでは一貫している。
にも関わらず、この部分で彼は、世界に紛争の種は尽きず、イスラエルのしていることなど小さなことに過ぎないと結果的に言ってしまっている。
もし、私が米国籍を持つ日系アメリカ人だったら、やはり、こんなふうに苦し紛れに安倍政権を擁護する義務感に駆られるのだろうか。
そうかも知れない。
その意味では、大変同情的になる余地は十分にある。
そうでなくともユダヤ人は、欧米社会で理不尽な差別的視線に未だにさらされやすい面はあるのだ。
「ユダヤ人の歴史を知ってほしい」
彼が口をすっぱくして、記述としては確かに事実関係に即したユダヤ人に固有の歴史を縷々述べたくなるのは分かる。
だが、と私はあえて言おうと思う。
例えば、米国の中でユダヤ人が何かを大きな声で主張しはじめたなら、誰もが反射的にその声に耳を傾けるか、少なくとも耳を傾ける振りをしなければならないと思うだろう。
それが、ユダヤ人が米国内で築き上げた地位であって、それは生半可な努力ではなかったとしても、事実には相違ない。
一方、例えば、彼が掲げたチベット人でも良い、チベット系米国人が、民族固有の歴史から現状の被抑圧的状況まで縷々述べ始めたとして、どうやって米国内の大きな話題になるというのか。(しかも、チベット人は、イスラエル=パレスチナの関係で言えばパレスチナ的立場だ)
私は彼が挙げた国々で何が起きたのか/起きているのか一々説明できない程度の無知な人間にはちがいないが、イスラエル―パレスチナほど非対称的な形の“紛争”は、客観的にも珍しいと言わざるを得ないのではないだろうか。というのも、“紛争”にありがちな大国の優越的地位を濫用して一方の側に加担しがちな(彼が掲げた国々である)アメリカもイギリスもオランダ(?)もロシアもフランスも、更には中国も日本も、誰も彼も積極的にパレスチナ側には立ってくれないからだ。
これらの大国は言うだろう。「だって、パレスチナ側に立ったって一文の得にもならないじゃないか」
これを非対称的な紛争と言わずして何と言えば良いのか、私には分からない。
つまり、私が言いたいのは、ユダヤ系米国人は、自らシオニストと言うのでなければ、私たちこそいつでも被害者なのだという顔をしながら、米国内における優越的な地位を少なくとも濫用してはならないだろう、ということだ。
イーノが強調しているのは、私たちが築き上げてきた市民的価値観を破壊しようとしているのは、私たち自身だということだ。
それが米国で起きている。そして、それはイギリスでも起きているだろう、もちろん、日本でも起きている。
この状況に歯止めをかけなければ、今は優越的な地位を享受しているユダヤ系米国人でさえ、将来はどうなるか分からないはずだろう。
イーノはそこまで考えて言っているはずだ。
ネタニヤフがパレスチナ人にしていることと、ヒトラーがユダヤ人にしたことと、どこがどう異なるのか、市民的価値観から説明できる者はいるのだろうか?
もちろん、パレスチナ側が抱いてしまっているだろう憎悪に十分な武器を与えれば、とんでもないことになってしまう可能性もなきにしもあらずなことは確かにちがいない。
だが、世界の大国が、世界の中に憎悪に基づく著しく非対称的な地域を作り上げ、それを放置していることは許されまい。そして、そういう観点から、何らかの妥協点を形成しなければ、憎悪の連鎖は結局やむことはないのも確かだろう。

だから、一方に加担するという形ではなしに、何とかしなければならないのだ。

私は、ここで、ピーター・シュワルツを非難しているのではない。
二回の世界大戦を経て、形成されてきた欧米主導による戦後の世界秩序は明らかに曲がり角を迎えつつあり、とりわけ顕著なのは、米国の介入はことごとく失敗に終わるべく宿命づけられているということを、シュワルツほどの知識人なら理解しているはずなのではないかと想像をめぐらせているだけだ。
悪役フセインを“討伐”してみせたイラク戦争によって、軍事的な一時的平定はしかしその後の地域の安定に寄与するものではないことが、あまりにもあからさまになってしまった。

今、必要なのは、米国がテロリスト指定した者たちでさえも、会議の場に引っ張り出すことだ。
いや、テロリストばかりではない、ロシアが問題を起こしたから欧米クラブ(サミット)からロシアを除外する?「制裁」を科す?
そんな相手の自尊心をズタズタにするような傲慢なことを続けていて、“西側”の安寧が維持できるのか。
“西側”へのリスペクトは維持できるのか。

既に大衆音楽、民衆音楽の世界では、西欧中心主義、西欧優先主義の時代は終わりを遂げている。
デヴィッド・バーンは、そのことに十分意識的なはずだ。
バーンに直接的な政治力などないだろうし、そういうことを期待するのは誤っている面もあるだろう。
だが、音楽は時代を先取りしているのであり、だからこそ、この音楽家たちの議論は重要なのだ。

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