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2014年8月13日 (水)

ブライアン・イーノ→デヴィッド・バーン→Remain in the light?/right?

サッカーW杯について考えていて、ふとよみがえってきたヘミングウェイという米国人作家の固有名詞に意識が引っ掛かり続けていたところ、同時代に生きる(私にとって)重要な固有名詞であるブライアン・イーノの肉声が聞こえてきた。
英国人のイーノが、米国人のデヴィッド・バーンに宛てた通信文の訳文が日本のネット環境に流通しているのを見付けたのである。
リスペクトの積み重ねとしての歴史が形成されることのない戦後日本の時間においては、イーノもバーンも、まさに遠い走馬灯の流れ去る無縁の一灯のようなものに過ぎないのだろう。それはだが、自らの位置を知らぬ傲慢な者たちにだけ許された恥辱なのであり、私たち(一般大衆)の歴史にとっては、確実に刻印された固有名詞であるとともに、同時代にあってこの混迷状態を私たちと同様に苦悩する生きた個体なのであり、だから単に私たちにとって生活を彩るだけのネオンサインでも何でもないはずなのだ。
もし、リアルにそう感じられないとするのなら、それは、彼らが私たちから遠いのではなく、私たちが彼らから遠いのだ。そのことを見失ってしまえば、恥辱はそうとは認知すらされず、反復され増殖してゆくしかないだろう。
戦後70年経っても、何ら歴史らしい歴史を構築することもできないこの極東の地に住まう人々は、それ以前の「これがお前たちの歴史だ」と誰かによってパッケージされたものには不満たらたらで、ブーブー言っているらしい。
彼ら「オムツを着けた大人」。
確かにその歴史は自分たちでパッケージしたものではないかも知れない。しかし、さして努力もせずに不平不満ばかりたらたらたらたら述べているのは、サボり癖がついてまともな向上心もなく、労働組合の親分に頼り切りのブータレ労働者の姿にそっくりだ。
70年もの時間的猶予があったにも関わらず、その70年間すらも何ら歴史らしい歴史にできなかった者たち(オムツをつけた大人)が、過去の確定された歴史については容認しがたいと不平を言い続ける姿というものは、子どもに分かる滑稽さであり、おぞましさにほかなるまい。
そういうことを分かろうともしない連中に限って、イーノにもバーンにも、すなわち脱西欧中心主義、脱人間中心主義の「具体」にも、結局はひとかけらの興味も持たないでいるのだろう。だから、グータラブータレニートといささかも変わらないというのだ。
もちろん、イーノもバーンも特定の文化ジャンルを代表するに過ぎない固有名詞だと言えなくもないのだが、問題は、そういう固有名詞を知っているか否かではない。
そうした固有名詞は、前提としてリスペクトの上に成立しているものなのであり、さらにコミュニケーションをする上で、そのような固有名詞を出すことがコミュニケーションの簡便さに寄与するということに過ぎず、重要なのは、一旦、そのようなものを取り払ったとしても、そのような固有名詞が濃厚に関与することで切り開かれた歴史を認識できているか否かということだろう。
歴史は動きながら蓄積され蓄積されながら動き、踏まえるべき前提であるとともに、越えるべき壁であり、標として機能する未完成の道程でもあるということを認知しているか否かが重要なのだ。
次々と生まれてくる幼児たちを、ただやみくもにちやほやし、愛でていれば過ぎて行くだけの時間は、所詮は自己満足の時間に過ぎず、独善的な価値をしか生まず、何よりもせっかく生まれてこれから伸びようとする者のオムツを外してあげることさえも出来ない。
愛でて可愛がっていられるのは、彼が彼女があくまでも自分の手の内にあり、けっして対峙も対抗も敵対もして来ないからだ。
つまり、自らに対峙する「個」にも「他者」にもならないから、懐に入れて猫可愛がりしていられるのである。
そういうものの連鎖が今日の日本を形成しており、そういうものの非歴史的な連鎖しか見出だせないがゆえに、積極的に子孫を残そうというモチーフも現実局面では失われていくのである。
一度でも歴史の形成に寄与したいと志した日本人なら、そんなことはみんな知っていることではないのか。
みんな知っているのに、そこから逃亡し続けているのが私たちなのであり、自己満足のために他者を自己の分身として猫可愛がりしようと思う人間以外は、子孫を残すことに積極的な意味を見いだせなくなっている。
このような現状からぬけ出す出すにはどうすれば良いか。
その一つの作業として、歴史がどのような場所で形成されるかを知っている人物の言葉(言葉が最善のメディアとは言えないかも知れないとしても)に耳を傾けることは重要な動作の一つになるだろうと思われる。
今後の世界史がどのように形成されるべきかを考える一助になるものとして、自分の記憶にとどめるためにも、イーノの通信文の一部をここに抜粋しておく。

(以下、訳出文からの引用。……は中略の意。※は引用者の感想ほか)

全てのかたへ、
この手紙で暗黙のルールを破ることになるが、これ以上黙ってはいられない。
今日、私はパレスチナの男性がプラスティック製の肉用の箱を抱えて泣いている写真をみた。それは彼の息子だった。……少年の名前はモハメド・カリフ・アルナワスラ。彼は4歳だった。
……
アメリカでは何が起こっているんだ。私自身の経験から、ニュースがどれだけ偏っているか、そしてあなた方がこの話の片側についてはほとんど耳にしていないことを私は知っている。
……なぜアメリカは民族浄化の一方的な実行を盲目的に支援し続けるのか?なぜだ。私にはわからない。……
私が知っていて好きなアメリカは、同情にあふれ、心が広く、創造的で、多様で、忍耐強く、寛大なものだ。(※ヘミングウェイ…)
私の親しいアメリカ人の友人たちは正にそれを体現している。(※なぜ、アメリカでは、黒人奴隷たちが奏で始めた音楽が、やがて人々の間で隆盛をきわめることが可能だったのか)
しかしアメリカは、この酷い、一方的な、植民地主義の戦争を支援している。
……自由と民主主義の概念をアイデンティティの基盤にしている国が、人種差別主義の神聖政治を支援して金を使うのが、どれだけ酷く見えるか判っているのか?(※人種差別主義の神聖政治・・・)
私は昨年メリーとイスラエルへ行った。……
入植者たちが糞尿や使用済み生理ナプキンをパレスチナ人たちに投げつけるのを防ぐために、パレスチナ人の家はワイヤーや板を打ち付けてあった。パレスチナ人の子どもたちが学校へ行く途中で、イスラエルの子どもが野球のバットで殴り、それを親たちが囃し立てて笑っている。村じゅうが脱出して洞穴で暮らしていると、入植者がその土地にやってくる。丘の上のイスラエルの入植者が、ふもとのパレスチナ人の農地に下水を垂れ流す。「壁」だ。検問所と終わりのない侮辱。私は考え続けた。「なぜアメリカ人はこれを許容するんだ?なぜこれをOKだと思うんだ?それとも知らないのか?」
平和のプロセスについて。イスラエルはプロセスを望んでいるが、平和は望んでいない。「プロセス」によって入植者は地を奪い、入植地を作る。(※この表現は、端的にして巧みだ。プロセスと名のつくものは、いつでも“合法的”だ。だがその“合法性”は、「法を支配」した者たちの独善と傲慢によって捏造されたものだ。つまり、中東における平和のプロセスと思われているのは、「平和のプロセス」と名付けられたイスラエルの入植計画なのであり、米国により承認されたものに過ぎないというわけだ)
パレスチナ人が感情を爆発させると、最新鋭のミサイルや劣化ウラン弾で体を引き裂かれる。それがイスラエルの「自衛の権利」だからだ。(一方、パレスチナ人は持っていない)
(※まともな人間なら大抵は知っている。国家はいつも「自衛の権利」の名のもとに攻撃をすることを。そんなことは、誰だって知っていなければおかしい話だ)
……
好むと好まざると、アメリカは「西側」を代表している。そしてこの戦争を支持しているのが「西側」だ。モラルと民主主義について声高に語っているのに。
(※英国人なら、イーノのような人物でも、私たち日本人の想像以上に「西側」意識というものは強いのだろう。それはそうだ。確かに彼らは地政学的に「西側」にいるのだから。で、どこからの?エルサレムからの)
……
これが君たちすべてを不快にするのは申し訳なく思う。君たちは忙しいし、政治にアレルギーもあるだろう。しかしこれは、政治の問題ではない。私たちが作り上げた市民的な価値を破壊しているのが、私たち自身なんだ。この手紙には何の修辞的なこともない。もしも修辞的なことで済めばよかったのだが。

(以上、引用、終わり)

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