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2014年9月 1日 (月)

いったい、この国はどうしてしまったのか?→いえいえ、NHKの本格的TV放映が始まって以来、ずっとこんな調子でした。

高校生の軟式野球全国大会における延長問題について、どうにも腹の虫がおさまらず、大手マスコミには何の期待もできない中、せめてネットには私と同様の価値観からこの件に言及している論客はいないものかと検索をしてみると、いましたね。
ヤフーニュースに連載コラム欄を持っているらしい松谷創一郎というライターが、一貫した視点からこの問題に言及していた。
重要と思われる点をピックアップなどしながら感想を述べてみたい。
(以下、『』内は、当該記事からの引用文)

まず、タイトルが秀逸だ。
『「残酷ショー」としての高校野球』
まさに、その通りだろうとしか言えない。
当ブログのどこかで、私は古代「ローマ市民」について言及した覚えがあるが、私たちはTVという媒体を通じて、いかにも分不相応の「ローマ市民」化しているのは間違いないのであり、なけなしのマネーとはいえ、総額としてはさほどの負担感のない程度のNHK受信料や支払っている自覚のない企業の広告宣伝費用によって、TVの前に座りさえすれば、いわば“名誉ローマ市民”の待遇を受けることが可能なのだ。
その私たち、いわば「テンポラリー・ローマ市民」(苦笑)が液晶の表面にいつも目撃しているものは何か。
松谷氏は、その最も傾向特化した番組形態こそ、「リアリティショー」という形式の番組だという。
松谷氏が何と言っているか、その箇所を見てみよう。
『リアリティショーとしての高校野球
ここで、高校野球の「残酷ショー」としての側面について触れておきます。実は、こうした残酷ショーは世界中のテレビ番組で見られます。それらは「リアリティショー(番組)」と呼ばれるもので、素人や芸能人が台本のない状況に身を置いて、さまざまな体験をするといった番組です。
(中略)
現在の日本ではリアリティ番組はアメリカや韓国などと比較すると、それほど多くありません。これにはさまざまな理由が考えられますが、やはり大きいのはリアリティ番組と似た魅力を持つエンタテインメントが他にもあるからだと思われます。私はそのひとつがAKB48であり、もうひとつが高校野球だと考えています。AKB48がリアリティショーとしての性質を強く持っていることは過去にもここで書いたとおりです。そしてそのときにも触れましたが、プロデューサーの秋元康さんも認めるとおり、AKB48は高校野球をヒントにしています。つまり、高校野球の残酷ショーとしての性質が、AKB48へ移植されているのです。
(中略)
日本では、決してリアリティショーが不人気というわけではないのです。テレビ番組としては多くないだけで、アイドルや高校野球でその需要が満たされているのです。』

本気で「ニューローマン」になりたがっているのではないかと推認されるアメリカ人の大好きな「リアリティショー」。
その手の番組では、例えば、日頃から不仲の夫婦が、いかにして離婚までいたるか、リアルタイム・ドキュメントのような形式でその経緯を追うといった作りがなされる。
端的に悪趣味以外のなにものでもない。
だが、筆者がいみじくも指摘しているように、私たち日本人は、全く同形式のものを良心の呵責を覚えながらどころか、良心的なあまりに良心的な情緒を膨らませながら、“楽しむ”のである。貧相で不相応な「名誉ローマ市民」として。
客観的に言って、これはいかにも滑稽な姿ではなかろうか。
いい加減、私たちは、この「特殊詐欺」みたいな「情緒の収奪的事態」に気付いても良いのではないか。
なぜ、高校野球にまつわるエピソードはことごとく美談化されなければならないのか。なぜ、NHKはAKBの握手会を無償のボランティアであるかのように報道するのか。
私は、前回の記事で、
「出来事」は「見世物」ではない。
と記した。
だが、「リアリティショー」とは、「出来事」を「見世物化」するために、本来は存在しないはずのメディアが「出来事」の生起に影響を与えない振りをしながら介在し続けるという不自然な代物なのだ。
例外としてあるのが、いわゆるプロの世界だろう。
「出来事」を「見世物」として昇華してみせることを前提に、「出来事」を生じさせしめ、それによって「対価」を受け取る。
このような分野はあっても良いと思う。ただし、それは、「出来事」は「見世物」ではないという大前提を踏まえた上で、特定空間の中で営まれるものだということをよくよく承知していなければならないはずのものだ。
本来的にはそれは常時再確認され続けなければならないのだろうが、こういうことというものは、結局分かろうとしたくない人は、けっして分かろうとしないものなのだろうか?
だが、もう一度、この度の「出来事」及びその背景にあるものを、松谷氏の記述によって振り返り、いったい私たちの持ってしまったマスメディアというものは何をやっているのかを、こういう機会にこそ噛み締めたいものだと思う。
そうでなければ、私たちにいっしゅの自浄作用の契機が訪れることは一向にないだろうことを承認しなければならなくなってしまう。

(以下、引用)
『4日間に渡るこの試合で、中京の松井投手は709球、崇徳の石岡投手は689球を投げました。また、この試合が始まる前日(8月27日)の準々決勝でも両投手は相手チームを完封し、この準決勝に臨んでいます。実は彼らは5連投なのです。さらに勝った中京高校は、試合後そのまま決勝の三浦学苑戦に臨みました。そう、なんとダブルヘッダーだったのです。松井投手はこの決勝でも、4回途中から登板して最終回までの5回2/3を無失点に抑えました。チームも2対0で勝利し、優勝を飾りました。
松井投手は25日から7日間4試合で、75イニング2/3、推定約1000球を投げきりました(失点1/防御率0.12)。プロ野球の投手の規定投球回数は試合数と同じ144イニングですが、松井投手はその半分以上を1週間で投げたことになります。
(中略)
これは明らかに異常な事態です。軟式野球の投手がプロ野球に来ることはないので、世の中ではあまり問題視されず、相変わらず「美談」と見なす向きも多いようです。しかし、ひとりのピッチャーが1週間で1000球近くを投げる状況は、やはり常軌を逸してます。
(中略)
高野連は、高校野球を「教育の一環」と位置づけています。しかし、こんなことを未成年者にやらせておいて、本当に胸を張ってそう言えるのでしょうか? これは「残酷ショー」以外のなにものでもありません。(中略)
こうした高校野球の異常性は、これまでに幾度も批判されてきました。しかし、それは短期的に生じてもなかなか継続的には議論されません。それには、明確な理由があります。高野連が日本の有力マスコミと極めて太いパイプを持っているからです。
まず、夏の甲子園大会を高野連とともに主催するのは、朝日新聞社です。次に、春のセンバツ大会は、毎日新聞社と高野連の共同主催です。そして、これらの試合はNHKが全試合中継します。加えて、朝日新聞が筆頭株主であるテレビ朝日も主要試合を中継し、テレ朝と朝日放送(ABC)が共同製作する『熱闘甲子園』では、その日のダイジェストが放映されます。もうひとつ付け加えるならば、日刊スポーツ新聞社は朝日新聞の関連会社、スポーツニッポンは毎日新聞社の関連会社です。
このように高野連は、新聞2社とテレビキー局2社を押さえているのです。これでは単発的に問題視されても、議論が継続的に起こるようなことはありません。なぜなら朝日、毎日、NHK、テレ朝にとって、甲子園は大切なコンテンツだからです。いわば共犯関係なのです。』


メディアが「これぞリアリティ」と謳うものほど、実は「危険な同調作用の渦の中に関係者全員が巻き込まれて行くような種類のものであること」
このことを私たちはわきまえているべきなのだろう。
松谷氏は、このコラムを次のように締め括っており、まさに私たちが自分の問題として考える以外に、少なくとも「突出的な悪しき風習」を停止させることはできないにちがいない。

(以下、引用)
『こうしたリアリティショーは、小説やマンガ、そして映画ではたびたび批判的に描写されています。
(中略)
これらの作品では、おしなべてリアリティショーを楽しむ視聴者に対してアイロニカルな視線が投げかけられています。登場する視聴者は、残酷ショーの参加者たちの必死な状況を安全な場所から観て、勝手に感動して楽しんでいます。そのとき、視聴者の感動のために、参加者が殺し合いをさせられていることについては、顧みられることはありません。無責任なのです。私が高校野球から連想してしまうのは、やはりこれらの作品で描かれるゲームの参加者と無責任な視聴者の関係です。
(中略)
高校野球はこのような無責任な受容ばかりなされて、本当に良いのでしょうか。これは「教育の一環」のはずですよね?高野連は、いつまで高校生に「残酷ショー」を続けさせるのでしょうか?そして視聴者も、いつまで無責任に高校野球を楽しむのでしょうか?大手マスコミが意図的に議論を避けるのであれば、インターネットなどでわれわれがもっと考えていかなければならないと思います。』

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