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2014年11月 4日 (火)

「グローバリズム」が抱える衝動、あるいは無意識について

昔からのファンだったのだが、以前は「ブログ」の転載サイトだったような気がしていたものの、今は「ツイッター」のまとめサイトのようなものにいつの間にか衣替えした『晴耕雨読』というサイトがある。
そのコメント欄に投稿するのに、なぜかはまってしまって、つい自分のブログは疎かにしてしまっていた。
管理主様の目が行き届いたサイトなので、とても居心地(?)が良いからかも知れない。
まるで管理人さんの目配りのいつもきいた共用部分が、とても清潔で快適な一昔前の学生寮や独身寮のような…。
そういう意味では、私のこのブログなど、まさに怠け者、気紛れ者の典型のようなブログで目もあてられない。
まぁ、もともと、そういう人間なので、自分のブログで無理をしても仕方がないと思いながら自分を慰めている。
それでも、昨日は、ふと思い立ち、『晴耕雨読』の方に長文のコメントを送信したところ、太っ腹にも掲載してくださった。
「文化の日」に、自分なりに頑張って長文をしたためたので、記念に(?)こちらにも掲載させていただくことにする。
…と、こんなさわりを打ち込み始めたところ、今(11/5)、N・H・K(内閣・報道・機関)の「ニュース9」とやらで、米国の中間選挙をめぐる政局めいたものを報道しており、「名門」がどうしただとかのたまっている。
アメリカの「名家」「名門」?
アメリカ人も、本質的な自信を失うと、そのような心理に陥っていくものなのだろうか?NHKが言うように、アメリカ人の中に本当にそのような意識が芽生えているなら、どうぞ恥を知っていただきたい。
これは、以下の文章にも関係している。


(以下、転載。一部推敲・追記有り)

「グローバリズムとは何か」ということを、「売国」だの「国賊」だの「右翼ナショナリスト」のタームを用いずに明確に定義したいですよね。
私なりに定義すれば、「グローバリズム」とは「(戦後、とりわけニクソンショック以降の)成功者あるいは既得権者によるインターナショナリズムあるいはインターキャピタリズム」…それが「グローバリズム」というものの捉え方とみなして宜しいのではないかと。
より端的に言えば、国際金融資本を媒介とする「1%のための共同体主義」「1%コミュニタリアニズム」であり、換言すれば「インターナショナルな新貴族階級の実現」ということになるのではないでしょうか?謂わば「選民主義」の変型です。
さしあたって、彼らがこれを実現しようとする上で忌避/排除されるものは何かということが私たちにとって問題となります。
以下、私見を述べてみたいと思います。

第一は「まったき平等主義」でしょう。(平等の否定)
「貴族(選民)」と「平民」の間には断絶がなければならない。「貴族(選民)」相互は国際的な特殊共同体を形成するが、この共同体には参入障壁が設けられるべきだと。
一見、「平等思想」とは無関係に見えて、「平等」の条件を毀損する「知的財産権」なる考え方は、その最たるものだと言えるでしょう。
もちろん、個人の創造や発明たる「著作権」や「発明権(特許権)」は一定期間保護されても良いと思います。個人の生活にもかかわってくることですから。
ところが「知的財産権」になりますと、「所有者」は一気に「組織/共同体」にまで格上げ(?)されてしまう。この「共同体」とは何なのでしょう?いうまでもなく「知的財産権」を参入障壁として活用したい「共同体」のことです。
今、話題になりやすい「ビッグデータ」にしてもそうです。いったい、誰が「ビッグデータ」なるものを所有できるのでしょうか。それが莫大な利益を生む可能性があればあるほど、そうしたデータが「社会的共通資本」として共有されることなど、あるはずがありません。「ビッグデータ」の「所有特権」は限られた組織、限られた集団、限られた共同体にならざるを得ない。
「ビッグデータ」なるものは、誰にとって画期的なものか、私たちは予めそのことを熟知しておいて、まさに素知らぬ顔をしながら「ポーカーゲーム」を始めるぐらいの余裕が必要でしょう。

第二には、「ナショナリズム」「民族主義」です。(歴史的地縁の否定)
ここが厄介なところなのですが、「資本」を媒介とするインターナショナルな「新貴族階級」を形成するにあたって、彼らは「民族主義」「ナショナリズム」を否定してみせます。
その言動が「平民」からみて一見“リベラル”なものに見えるため、古典的リベラリストは眩惑されがちなのですが、「平等主義」を否定することを目的とする越境主義なのですから、古典的なリベラリズムと相容れるはずがありません。ここを私たちは勘違いしてはならないと思います。彼らは彼らの“実利”を確保するために「ナショナリズム」を否定しているに過ぎない。(なお、「グローバリスト」たちは新貴族階級たらんとしているため、「閨閥」については積極主義である点も留意点でしょう)
また、各地域/各国に散在する“伝統的な右派”の実体は、もはや「追従主義・追随主義・事大主義者」に過ぎぬものですが、“主観右派”であるところの彼らも彼らで眩惑されています。
彼らは既に「グローバリスト」になってしまった土着の指導者を見て、「古典的ナショナリスト」であれかしと望んでいる。しかし、「グローバリスト」であることに生き残りの道を定めた人にとって、「ナショナリスト」としての側面はもはや方便の位置まで格下げされています。
ネトウヨと総称されるような「右派庶民」が、「右派指導者」に見える人を指して、「あなたこそ閣下だ殿下だ大将だ」と持ち上げながら次から次へと裏切られ続けている様は、単に嘲笑っていれば済む話なのではなく、「平民」がどれだけ媚びを売ろうと、「選民」からは冷酷に距離を置かれている様として観察すべきものであり、実際には“他人事”ではないのです。

第三には「倫理」です。(倫理の否定)
「倫理」のかわりに導入されるのが「道徳」です。
ここで「倫理」とは「正邪を判断するための学」であり、「道徳」とは「秩序を維持するための学」という意味です。
「1%とそれ以外」という国際的秩序を維持するために、「平民」に必要とされるのは「秩序維持のためのしきたり」であり、客観的なあるいは大局的な「正邪」を判断する能力ではありません。
グローバリストが強化する「道徳教育」とはそのような観点からのものであるため、倫理的には「邪悪なもの」であっても、彼ら「グローバリスト」に媚びを売り続けている限りにおいては保護または放置され、逆に利用し尽くされます。
凶暴な者たちが大手を振ってストリートを闊歩し始めたのは、そのような彼らのスタンスの現れであるとみなせるでしょう。
このように、「グローバリズム」というものはどのようなもので「グローバリスト」は何をしようとしているのかを実態に即して把握せずに、いわゆる伝統的な“左右”の立場に拘泥していますと、「平民」の内部で醜い罵り合いを続けさせられる結果になるだけです。
こういうことは、いわゆるネトウヨの皆さんにも一緒に考えてみていただきたいことだ。
私の見立ては粗雑なものですが、当たらずとも遠からずだと思っています。

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