心と体

2009年6月 5日 (金)

自ずから死に至る社会(殺人編)

私は、この一連のコラムの中で功利的合理論理に基づく「今、この死の優位性」を証明するための自殺が増えて来ている事を指摘した。
この考え方を裏付ける「死刑志願の殺人者」が出て来た事に驚いている。土浦連続殺傷事件の被告である。
先日の公判における被告の証言が報道されている。
要約すると以下のようになる。

(殺人が悪ではないと考えたのはいつ頃か?)
「20歳か21歳の頃。高二の時ふと運命について考えたのが始まり」
(運命について)
「未来はすべて決まっている」
(被害者に罪悪感を感じないか)
「感じない。ライオンがシマウマを食べるときに何かを感じているか?」
(何人殺害しても死刑にならない制度だったら事件を起こしたか?)
「起こさなかった」
(自分のことは誰にも裁けないと報道陣宛ての手記に書いたのはなぜか?)
「ライオンが人を殺したとして、人間の法律で裁いてもライオンは裁かれているとは思わない。それと同じ」

表現は未熟ながらも、彼が何を言おうとしているのかは明確だろう。
「死刑になる事」こそが自らの「功利的合理選択」だという結論に至ったため、自分は殺人を実行した。功利的合理主義者達が自らの行為に罪悪感を覚えないのと同様に自分にも罪悪感はないと言っている事になる。

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2009年6月 2日 (火)

GM破綻にあたって

米国GMの破綻にあたり、日本の姑息「利権マスメディア(新聞・テレビ)」が、まるで他人事のようにもっともらしい御託を並べているのには苦笑を禁じ得ない。
曰く、『変化を拒み、耐用年数を過ぎた制度を維持したfullmoonfullmoonの経営破綻は、時間の問題だったと言える』(『 』内、「日経新聞6/2付紙面より引用)
上記fullmoonfullmoonの中には、勿論GMという文字が入るのだが、これを「fullmoonfullmoon新聞」と換えても何ら違和感がない。というよりも、常軌を逸した業界の各社の経営破綻がカウントダウンに至らないのは、予め相当異常な権益により庇護されているからだろう。
『どんな優良企業も自己変革を怠れば、没落する』…なるほど、優良企業でもないのに自己変革もせず生き残っている業界があるのは、予めそこに強力かつ異常な利権が介在しているからだろう。
『内なる構造問題を抱えていたところに、金融危機という外的ショックが追い打ちをかけた』…ははぁ、内なる構造問題を抱えながら、金融危機でも小幅な赤字で済む業界があるのは、権力に対する媚び売りに大半の努力を費やしているからだろうな。
fullmoonfullmoonは真剣さに欠けたのではないか』…利権まみれの卑怯者の群れが「社説」とやらで口にすべきセリフではあるまいに。

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2009年4月30日 (木)

自らとともにあるヒステリックな現象と言説

私たちは今、周囲に満ち満ちているヒステリックな現象と言説とともに生きる事を余儀なくされている。
私たちの内にある"実存的不安"は、マスメディアという《ヒステリー増幅機》を経由して、「悪魔が攻めてくる」あるいは「神が怒っておいでである」もしくは「神が彼(其れ)を悪魔と呼んだ」という《未開精神(悟りを志向しない精神)に特徴的な言説》の現代的バリエーションとなって辺り一面にバラまき続けられる。
(先天的もしくは物理的器質疾患によらない)精神的病理現象の基本的なパターンは、《内部の未解決を外部(或いは身体)に投影する事》にあると言えるだろう。
その病理表現として最も頻繁に見られるのが、ヒステリーと呼ばれる精神現象であり、この精神現象の恐ろしい点は一定集団の内部においていわば「悪しき共感」のようなものによって増幅されて行く点にあると言えよう。
その典型例を、私達がマスコミと呼ぶ事の多い情報を飯のタネにする内閉的業者集団の多くに見る事が出来る。
この集団が、本来、内的に解決すべき未解決を外部に投影しようとして散布するヒステリックな言説の一つ一つにストレートに反応する事は、人生における最も無駄な時間の一つと言える。
言及する際は、症例に関する考察として言及するのが最も適当だと思われる。

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